ミスマッチ

習近平袁世凱になるんか論が盛んですが、みんな、李鴻章の舎弟時代(内閣総理大臣として呼び出されるまでは、李鴻章死んだ後も立場的にはそんなもんだろ)を描く岡本隆司袁世凱岩波新書ばっかりとりあげてて、その後の中華民国になった後のことを当時の政治史の展開と一緒にばっちり書いてる、田中比呂志袁世凱』がちっとも取り上げられなくて、困惑しますね。まあ、岩波新書の方が、世界史リブレット人よりもメジャーではあるかもしれませんがねえ。なんか納得いかねえなあ。

しかし、袁世凱の権力の源泉って、結局イギリスじゃんなあ、ということに今更気づいて、そうか「第一次世界大戦でイギリス極東への関心維持できず→袁世凱コケる」というのは必然だったし、「日本台頭→対華21箇条要求」っつうのも必然だったんだなあ。

日本語のネットで賢くなるの巻。

昨日のエントリについてエゴサしたよ、エゴサ
「リンク先」たどって、ネタ元なんだろとウィキペディアみたら、一つ賢くなりました。
ほんと、書いとくもんだなぁ。
ありがとうございます。

Wiki「六諭衍義」(日本語版中国語版

しかし、やっぱり中国ではとくに六諭は有名ではないのね。
有名なのは「聖諭広訓」なんだそうなので、やはり雍正帝えらい、に行きつくんでしょうか。しかし、「万言諭」なげえよ。読んでられん。

江戸時代の日本人、資治通鑑も読まんで、十八史略に逃げたという話を聞いたことがありますが、やっぱりネイティブにはかなわないよな、としみじみ思います。江戸時代の漢籍、途中までしか返り点ついてないのとか、けっこうあるもんなー・・・

ま、夷狄はしょせん夷狄っつうことなんですかね・・・。

禮教のない国の儒教道徳

そうだそうだ、本場のをつかえ!
明治政府のモデルは大明・大清なのは周知のことだと思うんですが(つか、それしか知らんだろ、19世紀の日本人)。
しかし、そのまま受け入れるのでは浅はかなので、少し入れ替えてるんですよね。
というわけで、元ネタの元ネタである明朝太祖洪武帝の「六諭」から、清朝聖祖康熙帝の「聖諭十六條」、明治の「教育勅語」まで、並べてみましょう。(いや、これだけじゃなくて、ほかにもめんどくさい道徳守ろう宣言はあると思うんですが有名なので)

なんつうか、六諭と聖諭十六條のあいだで、「こういうことやらんでくれ」の項目が具体的に増えてて、明朝統治の闇を感じますな(別に明朝だけが悪いんじゃないんですが)。「税金払え」とかもう笑いがこみあげてくる。だって「督促も大変なんだよ、省かせろよ」ですよ。清朝も大変ですなあ。

あと、教育勅語が、「皇室を守れ」もあるんだけど、分量的には「勉強せえ!勉強!」を主張する文章だということもよくわかりますな。そりゃ“教育”勅語だから当たり前か。しかし、最近の話見てるとなんかみんな「夫婦相和し」までいうのばっかり目につくぞ。現代日本の夫婦関係はどこもわるいんですかね。覚えられないだけか。

いや、こういうの誰か絶対ちゃんとした研究してる人がいると思うんですけど、ちゃらっと並べてみると面白いかな、と思っただけです。

あと、「六諭」で検索してたら、百度でも日本で流通した『六諭衍義』ばっかり出てきたんで、儒教道徳→六諭っつうのは日本でとくに強く出てくる認識なんかな、と。なんつうか、日本には「人を食う」「禮教」は入ってきてないんだねえ(日本だと「親の仇」は「門閥制度」だし)、と再確認しました。

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

赴任する知県―清代の地方行政官とその人間環境

赴任する知県―清代の地方行政官とその人間環境

清代中国の地域支配

清代中国の地域支配

安定の芸風

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49997
日本人が知らない、世界的にはきわめてマレな日本史のユニークさ
源氏物語・武士の存在・そして信長
橋爪大三郎,大澤真幸

安定の芸風です。
もはや、「絶対わざと」だと思えて仕方ありません。

ブコメの「炎上ビジネス禁止」にものすごく賛同します。講談社なにやってんのかな…。

読書:奈良修一『鄭成功』

鄭成功―南海を支配した一族 (世界史リブレット人)

鄭成功―南海を支配した一族 (世界史リブレット人)

大変楽しく読みました。
同じネタだと、以下の二冊があるんですが、結構読むのが大変なので、今回の本が出たのはありがたいですねえ。

うえの林田さんの本に比べて、欧文史料を基にした記述が多くて、そこも興味深いです。李旦の洗礼名とか初めて知りました(18頁)。鄭経の長男が鄭克ゾウだ、(63頁)とあって、この点気になりました。ホントかなあ。
あと7ページに「一六世紀倭寇」とあって、ぬ?となります。ほかの部分に「後期倭寇」とあるんでそれでいいんでは。年表の一六四四年のところに、「日本乞師」も、ぬ?となります。

末社会経済は「資本主義の萌芽」とか、鄭成功の忠義とかが強調されるのもそうかなあ、というきはします。鄭氏一族は清朝と外部にリスク分散したんじゃないのかな。あと、忠義というか筋通すのも、結構な政治的賭けだったんだろうな、というのを感じました。

読書:本村凌二『競馬の世界史』

読みました。
きほん、東大名誉教授(西洋史)の自慢じゃないすか、これ…。

エピソード満載なんで、血統表とにらめっこして、昔のビデオ見まくった競馬好きならば、かなり楽しく読めます。じっさいかなり楽しく読みました。

しかし、エピソードしかないのです(シーバード食われた疑惑が書かれてなかった気がするし/ウラとれないんだけど、あれデマなんかな…)。

わたしはプロの歴史家が書いた、世界経済の構造を前提にした、競馬や馬産の移り変わりを読みたいのです。せめて、競馬開催の金の出所については、近代以降どうなってるのか、知りたいのです。つか、凱旋門賞にQatarの冠が、チャンピオンステークスにQIPCOの冠がついてることと歴代アガ・カーン殿下に関係あるんですか、とか、要するに近代競馬におけるムスリム金持ちの位置づけというか、近代イギリスにおけるムスリムの位置づけが知りたいんわけです。

あと、American Pharoahは、アメリカンファロアと書いて、馬主のほほえましいチョンボを青史に刻むべきだと強く思います(228頁)。