読書:『陰謀の日本中世史』

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 読みました。
 あれこれあって、二冊買っちゃったんで、「ドドーン…」となりました。なので、めっちゃ辛めの感想を抱いています(私怨 

 本書では、日本中世史にかかわる巷間に流通し、素人がしばしば主張する「陰謀論」を、『応仁の乱』で当てた日本中世史の専門家である筆者が、「「学界の常識」」からいえば「いちいち批判せずに黙殺すべき」「珍説トンデモ説」として、「猫の首に鈴をつけに行く」ために書かれたものです。そのため、叙述は、「こういうオカシナ「陰謀論」がありますよ、でも自分を含む専門家によれば実際はこうですよ」、という形になります。
 本書は、保元の乱平治の乱治承・寿永の乱、北条得宗家の権力掌握、鎌倉幕府成立、応仁の乱本能寺の変関ヶ原の戦い、とだいたいの日本中世政治史の有名な事件を取り上げています。日本中世政治史の概略も述べられていると言えるでしょう。取り敢えず読み始めて「いや、保元の乱についての陰謀なんて普通知らんやろ」となりました。つまり、誰でも知ってるヒトや事柄に関する「陰謀」だけを斬ってるわけではない(いや、みんな知ってるのかも?)のです。あと、説明が丁寧なので、概説的な位置づけにもしたかったんでしょうけど、その結果、分厚くなっちゃった(参考文献までいれて343ページ)感があります。まあ、値段の割にオトクなのかもしれません(肉じゃない)。

 しょうじき、日本中世史界隈は(研究対象も研究者も)「ヤバそう」の一言だし、著者も太字で「研究者は研究対象に似る」(41ページ)とか書いてて、ハハハ、そうかもしれんね、といろいろ想起しました。ただ、「そも似てるからヤバイのやってんじゃないの」「類友…」と頭によぎりましたが。全編、真面目な顔で冗談を飛ばしてる感じで、『応仁の乱』とちょっと雰囲気が違ったんですが、でもやっぱり読んで感じる違和感、というか、趣味あわない感は一緒です。

 本書4ページ(「まえがき」が始まってページめくったところ)には、「本能寺の変の歴史的意義は、織田信長が死んだこと、そして明智光秀の討伐を通じて豊臣秀吉が台頭したことにある」とあります。…え、どうでもよくない?そんなことに意義あるの?というか「本能寺の変」自体が、どうでもよくない?そこサービスしちゃうの?
 本書では、ずーっと、「陰謀論」を批判しつつ歴史上の人物の動機を取り上げています。
 本書が言う「陰謀論」は終章から抜き出すと、

  1. 「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え方」であり、
  2. 「因果関係の単純すぎる説明」や、
  3. 「論理の飛躍」、
  4. 「結果から逆行して原因を引き出す」などの特徴をもち、
  5. 「事件によって最大の利益を得た者が真犯人である」と考えがちだったり、
  6. 「起点を遡ることで宿命的な対立を演出する」などの傾向があり、
  7. 主唱者は「挙証責任の転嫁」をしがちで、
  8. 「やたら大げさで通説を全否定」し、「妙に使命感が強い。」

としています。これにはとくに異論はないす。個人的には下の本のほうが理論的だなあ、と思いますが、対象も違うしね。あと「歴史学は「確からしさ」を競う学問なのに、彼らは自説を100%信じて疑わない」なんて書いてあるのはそうだそうだと快哉を叫ぶところでしょう。(「競うの?」とは思いますが。(漢文的には「快哉“と”叫ぶ」だよな〜)

世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ (講談社現代新書)

世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ (講談社現代新書)

 ただですねえ、そもそもなんかの政局的な事件があって、トップが変わったとして、それに何の意味があるんですか。そこは否定しないんかなあ、と。ここ否定したらマズいのかなあ。このときの将軍は、これこれで、いついつ変りました。それで終わりじゃないですか。個人の動機なんてどうでもいいし、だいたい人間の心理なんてわかんないですよ。動機があって行動があるんじゃなくて、行動があって動機が跡付けで作り上げられるんだけど、行動自体はマクロには構造に規定されちゃって、てのが人間じゃないですか(そこもいろいろといえばいろいろだけどさあ。

 日本中世史研究ってのは、もっとこう参入障壁が高杉で荒んでるもんだと思ってました。というか、もっと構造的な議論をしていて、「生き生きとした人物の姿」なんて、とうの昔に素人の慰みと切り捨てたもんだと思ってました。日本中世史っつったら、内藤湖南の時代区分論が〜、から始まって、大名領国制だとか、兵農分離とか、村落論とか、銭建てか米使いかとか、中世と近世の社会の性質の違いとか、社会経済ドドーンじゃないですか。じゃなきゃマルクス主義を受容してそこから脱却してとかの20世紀末までの議論もできるわけがないじゃないっすか。政治だって、権門体制論とか儀礼研究とかだし、対外関係史もわけのわからん発展っぷりですよね。だって、勘合の復元とかしてるんだよ!デカイんだよ!(我ながら全般的に知識がちょっと古いね…)

日明関係史研究入門 アジアのなかの遣明船

日明関係史研究入門 アジアのなかの遣明船

 そこで、話題の本書ですけどね。「本能寺の変の歴史的意義とは」ときたので、「?」となりました。いや、そこは「本能寺の変には、ことさら取り上げねばならない歴史的意義なんかない」「にもかかわらず素人はどうでもいいことでギャアギャア陰謀だなんだと言ってやがる」「じゃあ、あんたらのレベルまで降りて、ちゃんと分析してやるゾ」と書かないとじゃないんですか。「畿内中部地方の権力者が、信長から秀吉に変わった」、だから、権力構造が変わって、政治も変わる、社会も変わる、経済も変わる、対外関係も変わる、というのならわかります。政局の次がないと、全く落ち着かないし、中世史研究者は、ずっと政局のその先を考えていたし、その政局の先の社会・経済・政治構造の変動のなかで、個々の事件や命令とか法令の位置づけを議論してきたんじゃないですか。

 「日本史学専攻の学生が、卒業論文では「織田信長の楽市政策」を扱いたいと申し出ても何の問題も起こらないが、「本能寺の変の黒幕は誰か」について書きたいなどと言おうものなら、指導教員に叱られるのがオチである」(4ページ)って言うけど、そりゃ「陰謀だからダメ」なんではなくて、「黒幕がわかりました」「だからなんだ」と事件の展開追うだけじゃ広がりがないからでしょう。本書みたいに「「黒幕」は誰とされてきたのか、歴史叙述の分析がしたい」ならOKが出るんじゃないですか。しらんけど。出ないのかな、日本史だと…。

 『応仁の乱』読んでもわかりませんでしたが、本書を読んでも、やっぱり日本中世がどんな時代かちっともわかりません。一揆の権力性とか検討してきてる著者はわかってるに決まってるんですが、本書にはそういう視点がない。なんか今の政局話を読んでるみたいでした。あと、服部隆二『日中国交正常化』読んでるときの感じも思い出しました。なんか昔読んだ櫻井英治『贈与の歴史学』とか、東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』みたいな、今と違う常識/社会が動いてる感じがしないんですよね。今と同じ、自分と同じ人間がゴチャゴチャやってる最近の時代劇見てるみたいで…。

日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

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贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

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選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

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 市井の「歴史愛好者」と研究者の違いは、たんなるドラマではなくて、その裏側にある社会背景とかへの視座ですよね。政治史では、誰が誰と手を組んで、誰を殺したとかは前提として明らかにすべきことで、そこが目的なんではなくて、それらのアクターはどのような政治的・経済的・社会的(あるいは文化的でもいいかも)な背景と利害を背負っていたのかが大事なんじゃないですか。一緒になって、政局の裏側をああでもないこうでもないして、「普通に史料読んだらこうなるだろう」とか言ってたら、レベル批判してる相手と同じじゃないですか。だいたいふつうのひとは「普通に」読めないよ。臆断で決め打ちしちゃうよ?社会背景とか全部理解して、社会史やってきて人間感覚も優れてる著者だから「普通に」史料を読めるんで、素養のない素人には絶対無理でしょう。そこは、当時の社会背景とか、価値観とか、人間の感覚とかを総合すると、このように読むべきで、参照軸が足りないよ、と諭すべきなんじゃないですかね。
 あと、全般的に、「Aだろ、Bだろ、はい論破」的な感じで、ちょっと『中国化する日本』っぽさも感じるんですよね(著者お二人の学年同じくらいだな。むしろ編集の問題か。太字とか。)。俗説を斬るのは良いし、それ自体は別に間違っちゃいないんだけど、それに対して、自説をどうやっても揺るがない無謬のものみたいな感じで出して、「どう考えてもこうなるだろJK」みたいな。謬説をぶった切るまでは良いんだけどなあ。その先にでてくる代替案がどうもね。結局、動機の議論だしなあ。

 というわけなんで、違和感を感じたのは著者の人間観かもしれません。だいたい、出てくる歴史上の人物を常識がある、それなりに論理的な人間として取り上げてるんですが、実際、人間そんなに常識やら論理性ありますか?だって、ワタミの社長が議員先生やってる国だよ?他にもヘンなのがウヨウヨいて、信じられないような発言や行動をしまくってるじゃないですか。ツイッタの狂ってる度すごいでしょ?21世紀の日本がこれだよ。昭和初期の新聞とかいい感じで狂ってるんですよ。本書で出てくるマッドネス、秀吉くらいですけど、中世日本なんてそんな生っちょろいわけ無いでしょう。ほんまもんの狂人だらけ、というかなんか狂いそうな社会だな、という気がしてるんですが、そうすると、「常識的に考えて」というのも、それらしいけどそうかなあ、という感じになっちゃうんですよね。とくに政局的な話だと。まあ、これは経験主義的に考証せざるを得ない歴史学のネックなのかもしれませんけどね。だからこそ、読みきれない動機ではなく、構造の方を重視してきたんじゃないのかな。つっても、一時期のマルクス主義歴史学だいぶ荒唐無稽だから、こういう「常識的に考えて」アプローチで説明するのもおかしいのかもしれん。…「生き生きとした人間模様」とかどうでもええやん、とか昭和史論争の逆やんな。

 著者の「ちゃんと学術的な内容のものを読めよ、バカ」「普通に考えたらこうだろ、バカ」「バカにもちゃんと言ってやんなきゃだろ」という主張はわかりますが、そんなん無理やろ、バカはそういうの読めないからバカなんだし、バカにバカって言ったら角が立つやんけ、つか論理とかないんやからバカにバカいうたらムキーってなって普通に危ないか、向こうが謎の勝利宣言して終わりやん。バカのとこに降りても動機で議論してもしかたなくね、と、ここまで書いて気づきました。あ、そうかこの本のターゲットは、バカじゃなくて、「ちゃんと学術的な内容のものを読めよ、バカ」といいたい専門家じゃないヒトだったな、そうかじゃあ、良いんだ(納得

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

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一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

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