禮教のない国の儒教道徳

そうだそうだ、本場のをつかえ!
明治政府のモデルは大明・大清なのは周知のことだと思うんですが(つか、それしか知らんだろ、19世紀の日本人)。
しかし、そのまま受け入れるのでは浅はかなので、少し入れ替えてるんですよね。
というわけで、元ネタの元ネタである明朝太祖洪武帝の「六諭」から、清朝聖祖康熙帝の「聖諭十六條」、明治の「教育勅語」まで、並べてみましょう。(いや、これだけじゃなくて、ほかにもめんどくさい道徳守ろう宣言はあると思うんですが有名なので)

なんつうか、六諭と聖諭十六條のあいだで、「こういうことやらんでくれ」の項目が具体的に増えてて、明朝統治の闇を感じますな(別に明朝だけが悪いんじゃないんですが)。「税金払え」とかもう笑いがこみあげてくる。だって「督促も大変なんだよ、省かせろよ」ですよ。清朝も大変ですなあ。

あと、教育勅語が、「皇室を守れ」もあるんだけど、分量的には「勉強せえ!勉強!」を主張する文章だということもよくわかりますな。そりゃ“教育”勅語だから当たり前か。しかし、最近の話見てるとなんかみんな「夫婦相和し」までいうのばっかり目につくぞ。現代日本の夫婦関係はどこもわるいんですかね。覚えられないだけか。

いや、こういうの誰か絶対ちゃんとした研究してる人がいると思うんですけど、ちゃらっと並べてみると面白いかな、と思っただけです。

あと、「六諭」で検索してたら、百度でも日本で流通した『六諭衍義』ばっかり出てきたんで、儒教道徳→六諭っつうのは日本でとくに強く出てくる認識なんかな、と。なんつうか、日本には「人を食う」「禮教」は入ってきてないんだねえ(日本だと「親の仇」は「門閥制度」だし)、と再確認しました。

東アジアの「近世」 (世界史リブレット)

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