「大きな物語」ってどのくらい?

歴史のなかの「大きな物語」って、どれくらいの大きさなんでしょうかね?

例えば、中国では18世紀に人口が倍増してます、ってのは「大きい」のかな?「小さい」のかな?同時期の日本では人口頭打ちです、はどうなんだろう。

もっとこう、日本の歴史は、「中国化」に振れるか、逆に振れるかですべてが説明できる、くらい大きくないとダメなの?
中国の歴史は、全部、専制政治です、みたいな?
これに文句言ったら、揚げ足取りで、重箱の隅をつつくなのかな?「中国化」という語は変じゃない?とか、「専制」とか「独裁」とかどういう意味なの?とか聞いちゃいかんのかな。

たとえば、西洋人、ずーっと中国に貿易に来てるけど、貿易に来るのは中国製品を買いに来るので、一度たりとも西洋商品の市場になった(輸出先として重要になった)ことはないよ、とかは、「大きい」の?「小さい」の?

そりゃもちろん、浙江の盆地のなかの宗族は、姓が同じってだけでどんどん合併してるから、厳密な意味では「血族」ではない、とかは、「小さい」のかもしれませんけどね。でもそれは、中国における「宗族」というか「血縁」は、想像上のものにすぎないけど、ほかの人間関係を束ねる表現が社会的には弱い、ということを示唆してるんだけど、どうなんでしょうかね?

人様を怒らせるのはよくないことだと、思ってるんで、できるだけ衝突は避けたいんだけどねえ。しかし、理論と実証の関係とか、よくわかんないなぁ。