「東洋史」ってなんだっけ?

このあいだ、中国史の研究者を指して「東洋史の」某某と書いてある日本近代史の専門書を見ました。やっぱり日本史か…(偏見)いやしかし、日本史の人も、普通、「中国史の」ってするよなあ。
たぶん西洋史の人は「東洋史」=中国史ってやらないと思うんですよね、オリエンタルとかイーストが何だか知ってるから。
おそらく「東洋史の」ってしたのは、恰好をつけたからではないかと。その結果、ちょっと恥ずかしいことに、というよくある話。
とりたててdisる話でもないけれども、気になったので「東洋史」ってなんだか、メモ。

とりあえず、東京大学東洋史学研究室の説明が一番わかりやすいので、こちらから

文学部設立当初(明治10年)には、今日の東洋史の範囲では、わずかに中国の古代史が漢文学の一部として教えられていたにとどまる。その後、漢学科から史部が独立し、また中国以外の「東洋」研究の必要性が増大した。そこで、東洋史学科が明治43年に設立され、白鳥庫吉の指導の下、日本の東洋史学の基礎を作るとともに多くの研究者の育成がなされた。
以来百年近くが経過し、現在、東洋史学の研究対象は実に幅広くなっている。東アジア文明の担い手となった中国・朝鮮、幾つもの騎馬民族国家が興亡する一方でシルクロードが栄えた内陸アジア、仏教・ヒンドゥーイスラーム文化が入り組む南アジア・東南アジア、そして古代オリエント文明とイスラーム文明が継起した西アジア、さらに地中海・イスラーム文明と緊密な交渉を保ってきた北アフリカイベリア半島、……これら各々の地域と社会の歴史、また相互間の関わりなど東洋史の研究には尽きるところがない。
近代以降の歴史学は「西洋」=ヨーロッパを中心にして歴史の理論を組み立て、世界史の展開を理解しようとしてきた。実際、上述の多様な地域を「オリエント」「東方」として一括しようとする発想自体が、ヨーロッパ社会の自己認識と表裏をなす考え方である。その意味では「東洋史学」という枠組みも、決して自明のものではない。
ではどのように「東洋史」を研究したらよいかというと、そこには普遍的で万能な「東洋史学研究の方法」があるわけではない。それぞれの研究者がそれぞれの方法を模索しながら個性豊かな歴史社会と取り組んでいるところに、現在の東洋史学の面白さがあるともいえよう。

ようするに、国史西洋史以外のその他だから、基本好き勝手ということですな。
東洋史」はアフリカから、中近東・中央アジア/インド・東南アジア/北東アジア(日本除く)まで全部やっているわけで、そもそもこれは、中国史を包含はしていても、中国史そのものを指すわけではないというか、「東洋史」=中国史ってやるひとは、要するにそれ以外の「東洋」の歴史を認めないわけですね。なるほど、ひでえな。羽田亨とかガン無視か。水島先生の立場はどうなる。クリルタイとかも丸々存在を認めないと。東南アジア史とかどうするのよ。
もちろん、今の東南アジア史研究は「南方史」というより戦後の地域研究の系譜なんで、「東南アジアは東南アジア」というなら、それはそれでいいんですがね。あと「帝国史」とかも、西洋史の人がやって、南アフリカ東洋史に入ってない(でもインドはだいたい東洋史だよな)とか、いろいろグレーなところはあるんだけれども。
というわけなんで、よほど明確な意思がない限り(羽田正先生が「世界史」を専門にするように)、みずから「東洋史」を専門というわけはないし、適当に人様を「東洋史」の専門家というのは、いろんな人に怒られるんじゃね、ということを思うわけです。

で、思い出したのが、那珂通世による桑原隲蔵『中等東洋史』序文の一説。

歐洲の盛衰のみを敍述して、世界史または萬國史と名づくることの不都合なるは、事新しく言ふ迄もなし。世界の開化は、固より歐洲人の專有に非ず。東洋諸國、殊に皇國・支那・印度の如き、人類社會發達の上に、風化を及ぼせることの廣大なるは、復疑うべからず。且皇國は東洋の東端に位し、既往・現在・將來共に、東洋諸國と關係最も密なれば、國民たる者は東洋古來の盛衰沿革に就きて、明晰なる智識を有せざるべからず。これ尋常中學の歷史科に於て、國史・西洋史の輭に、東洋史の目を加ふる所以なり。
近年東洋史の書、世に行はるる者頗る多けれども、皆支那の盛衰のみを詳にして塞外の事變を略し、殊に東西兩洋の連鎖なる、中央アジアの興亡の如きは、まったく省略に從ふが故に、アジア古今の大勢を考ふるに於ては、不十分なることを免れず。予常に之を憾みとせり。此頃文學士桑原隲蔵君中等東洋史を著はして予に示せり。予受けて之を読むに、史料を東西に取りて博引旁捜し、善く東洋民族の盛衰消長、列國の治亂興亡を述べ、簡にして要を得たり。

東洋史学」はできたそばから、「支那学ちゃうわ」といい続けてきたわけですね。そりゃ、「東洋史」を冠する組織に所属するひとのなかには、考証学とか、漢学とか、支那学とか「中国」に関する話題を専門にする人がたくさんいたし、それもあって「東洋史」=「中国史」だと思っていたことは事実だし。特に戦後数十年は。いまでも中国史のヒトしかいない東洋史学科は普通にあるし。その辺は仕方ないといえば仕方ないけれども。

そのへんウィキペディアだと、下記のようにおもしろい書き方をしていました。

もはや「東洋史」は学問的枠組みというより、大学における講座や学会名などで伝統的に引き継がれている名称となりつつあるといってよい。

そうそう、グーグル先生に「東洋史」で聞くと、wikipediaのあとは、東大東洋史・阪大東洋史東洋史研究リンク集・早稲田東洋史
中央大学東洋史・北大東洋史東洋史研究会が表示されます。青木先生のとこを除いて、全部組織名なんですな。

というわけで、特定の大学の「東洋史学研究室」に所属している人は、「東洋史の」と冠をつけても間違ってはいないわけだね。しかし、「東洋史の〜」って、やっぱりどっかの院生みたいだよな。「東洋史の●●さん、男前だよね」「え、あの人、中哲じゃないの?」的な。

それにしても人様のご専門をどう呼ぶかって難しいよね…。みんなこだわりがありそうだし…。クワバラクワバラ
何もつけないのが吉かしら。どうせ他所の文脈なんてわからんからなあ…。

岩波講座 「帝国」日本の学知〈第3巻〉東洋学の磁場

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