●●社会論

「中国社会論」という言葉を、とりあえず「ある特質をもった「中国社会」というものを想定し、他の社会との比較でその特質を論ずる議論」とていぎするなら、そうしたものは、18世紀ヨーロッパの啓蒙主義者たちの議論あたりに端を発し、19世紀を経て、20世紀になってアカデミズムの内部でもまたその外側でも大きく盛り上がったということができよう。日本の学会もその有力な一翼を担った。21世紀初頭の今日では、そうした議論の影響力は決してなくなったわけではないけれども、オリエンタリズムの一種として、また単純な文化本質主義の発露として、少なくとも学問的にはやや眉に唾をつけて見られている、という状況ではないかと思われる。「中国社会とは…」といった言葉で始まる大上段の議論を行うことは、研究者にとって、すでに時代遅れで気恥ずかしいものとなりつつあるのである。しかし、私自身が今まで細々と行ってきた中国史研究を振り返って見ると、その根底に中国社会というモノについての一種の全体的なイメージがあること、そして経済史や社会史、思想史などまとまりなく感心してきた私の関心が、せんじつめていえばいずれもそのイメージの変奏であることを告白しないわけにはいかない。「中国社会」なるものの全体的なイメージを持つということは、もう古くなってしまったのだろうか。そして、もし「中国社会」を論ずることがまだ可能だとしても、ある中国社会像を「正しい」と主張する根拠は何なのか。はなはだ悩ましい問題である。

岸本美緒『地域社会論再考 明清史論集2』、309-310ページ。


歴史学の最先端」の「最先端」、一番先を独走していてもこんな感じで単純にはいかんよ、というお話。平気で「中国」とか「西洋」とか言ってるのはモグリだといわざるを得ませんな。

とりあえず、湖南が〜とかいってないで、柏祐賢を現代語訳するとかだれかやりませんか。やりませんか、そうですか。李登輝がもうちょっとヒーローになってりゃ需要もあったかもしれないですね。