日東西の、何が問題なんかいね?

えー、先々月、「中国でピンハネだらけとか、常識じゃね」と言ったら、「そんなの常識なの東洋史だけだ、馬鹿」と怒られたたぬきです。「××嫁日記」にも似たような話がかいてあったよ!まあ、そんなことはどうでもいいんですけど。

で、ボヤッとツイッターを眺めていたところ、
「世界史の枠組みで思考する研究者の養成には、まず大学の東洋史西洋史、日本史という講座制を解体して統合することが先決ではないだろうか。」
という趣旨のツイートを見かけました。
で、まあ、日東西に分かれてるのはダメよ、というのはホントよく聞きますけど、対外交渉史ですらいじめられるという噂の日本史(偏見)はともかく、東洋史西洋史ってそんなに枠組しっかりしてるんですかね?
もちろん、西洋史の先生のほうがおしゃr…。一目瞭zんtんとどkzとどkz尾rまたはい異kk

あと、世界史研究者ってつまり、最低でも、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・アラビア語タイ語・中国語・ハングル・日本語出研究書読むくらい朝飯前くらいできなきゃいけないんでは…。うーん。

いや、東洋史の方は特にそうなんだけど、その中のセクションがわかれ過ぎで、「東洋史の専門家」なんていないでしょ。「オスマンのなんとか」とか「中央アジアのなんとか」とか「インド洋のなんとか」とか「スラウェシのなんとか」とかの専門家がいるけど、相互に没交渉じゃん。大体『東洋史研究』とか毎号全部の記事理解できるヒトっているの?
しかも、「東洋史=中国史」と思われる始末。朝鮮の立場すらありゃしませんな。むしろ東洋史内部の支那学とそれ以外の溝の方がヤバい気がしますけどね。(西洋史だって南欧と北欧は遠いんじゃないですかね)

まあ、そんなわけで、枠組だけ大きくしても、どうせ細分化が進むだけ(そもそも研究細分化と日東西分割は関係ない)なんで、上から教育とか研究の枠組みを取っ払うとかしないで、興味の赴くままにいろいろつまみ食いしてる方がいいんじゃないでしょうかねえ(そのための場を年長の偉い先生が用意するのは、すっごいいいことだと思います)。別に東洋史の人がヨーロッパ行ったら行ったら怒られるわけじゃないじゃないですか。そもそもインドとか中近東の研究者はみんな若い時分からロンドンとかパリとか行ってるみたいだし。
もちろん、「世界史」っていう枠組みの著作や研究はあったら面白いに決まってるんだけど、それを金科玉条にしちゃうと今度は硬直化するので、枠組提唱って難しいね(羽田先生のご著作を読むと苦労がうかがわれます)。読む方としてはいろいろバリエーションがあった方が楽しいよね、くらいにしか思わないのですけど。

結局、どんな枠組だって、できのいい奴はちゃんとそれを乗り越えていくんでしょうから、枠組に縛られてる人なんてほっときゃいいようにも思います。