読書:『塩とインド』

神田さやこ『塩とインド:市場・商人・イギリス東インド会社』(名古屋大学出版会、2017年)

塩とインド―市場・商人・イギリス東インド会社―

塩とインド―市場・商人・イギリス東インド会社―


感想:塩に違いがあるのか!
いやこれ、「やさしお」使ってなんでも食べる雑食性のナマモノに違いなんてわかんない、という話ではなくて(もちろんわかんないんですが)、ブランド化された高級品ではなくて、安価な日常コモディティであるにもかかわらず産地の違いで流通状況が違うというのが、一番の驚きでした。

さて、一年まさに塩漬けにしたんですが、この本、全然知らない話のオンパレードなんだけど、いろいろ細かくて面白かったです。ミャー大出版会はうまいよなあ…。インド、ほんと知らん世界なんだけど、経済合理性がちゃんとあるんだよなあ。すげえなあ。第1部は塩専売制度をイギリス東インド会社がどうマネジメントしたのか、第2部では塩取引に従事してた商家が検討されます。以下、だいぶ端折ってますが章ごとの内容です。

序章
 インド史研究も、近世(「長期の18世紀」)と近代(1858年以降の「直接統治期」)の研究のはざまになってる19世紀前半がよくわかんないみたいなんですよね。で、もうここ20年はアジア間貿易論が流行ってるんで、アジア間貿易のなかでの塩の動きから空白の時期の実態を明らかにする、という本書の目的が書いてあります。
 塩税収入は東インド会社/植民地政府にとってだいぶ重要で、地税(50%)に次ぐ主要収入源(10%強)でした。でも、中国みたいに貨幣制度とか物資調達とかとリンクしてるわけではなくて付加税収だけが目的だったようです。

第一部(東インド会社の塩専売制度と市場)は専売制を運営している東インド会社視点です。
第1章:インド財政と東部インドにおける塩専売
 塩専売・塩税について制度的な説明がされています。インド財政は本国に吸い取られる分赤字だとか、東インド会社(EIC)は軍事力(会社軍)維持のための収入(+本国へ送る分)が確保できれば後は現地有力者に丸投げ、とか、専売塩の値段高めに設定して利潤を確保しようとするんだけど高すぎて密造・密輸塩が横行したとか確認されてます。
 あと、重要なのは、フランス領コロマンデルから入ってる天日塩で、EICが塩を確保出来ないときに輸入してるんだけど、これが質が悪くてベンガルでちっとも売れない、辺疆の普段から塩が足りないところではなんとか売れる、という状況になっていたと書かれていました。ここから本書では、塩の多様性が重視されるようになります。

第2章 東部インド塩市場の再編
 ベンガルにおける塩取引の実態が書かれています。塩は、河川輸送で流通して、塩商人は川沿いに蔵建ててるとか、現地の商人にも色々あるし、イギリス人やポルトガル人商人が参加しています。あと問題になるのは禁制塩なんですが、禁制塩にも密造したもの、余剰分、密輸したものがあったようですが、問題は密輸したやつで、中でもコロマンデル塩は質が悪いので良い(むしろ売れなくて困る)んですが、質が高い煎熬塩であるオリッサ塩が後で問題になります。アラカン塩はビルマ方面なので別。

第3章 専売制度の動揺:高塩価政策の行詰まりと禁制塩市場の拡大(1820年代後半〜36年)
 キモの部分です。
 ざっくり言うと、EICは流通量を抑制して塩価格を高止まりさせ利益を確保しようとしていたのですが、密造・密売塩が多く流通したため塩市場価格が安く、EICから塩を落札した商人が実際に引取にこない(引き取っても原価が高くなって売れない)ことすら起こります。加えて、EICが正規ルートで輸入していたコロマンデル塩の品質が改善して価格が上昇し、辺疆などではむしろ安い密造塩の流通が増える。加えて、EICはオリッサ塩の輸入もするんだけど、輸送費がかさむので値段を下げられず、利益も減る。アラカン塩も入ってきて、競争が激化し価格は低下。加えて、輸入塩を取り扱うヨーロッパ系商人がEICに色々要求をして、EICの塩専売・塩税収入はどんどん減るばかり。

第4章 専売制度の終焉:燃料危機、嗜好、そしてリヴァプール流入1840年代〜50年代) 
 ここもキモの続きです。
 インドの専売塩は、煎熬塩なので製造にあたって煮沸するので燃料が必要。薪が一番上質に仕上がるらしい(ほんと?)ので、薪が良いんだけど、足りないと当初は石炭をつかったりした。これは炭田開発などで可能になったが、あまり生産量は延びず、むしろ蒸気船の利用増加により石炭価格は上昇、アヘン戦争以降は蒸気船が軍用にも使われて、燃料価格はさらに上昇。塩製造費用が高くなりすぎ、また価格統制も出来ず。ここに追い打ちをかけたのが、リヴァプール塩の登場でした。石炭を使って煮沸する割には品質がよく、バラストにして持ってくるので輸送費も安いリヴァプール塩はベンガルを席巻。かくてEICは塩専売制度を放棄することになりました。

第二部(ベンガル商家の世界)は、経営者視点です。
第5章 塩長者の誕生から「塩バブル」 へ:1780年代〜1800年
 塩専売制度の開始は、上手く落札することで塩長者を生み出し、彼らは新興商人層を形成していきます。彼らの出自は特定の階層に求めることは出来ず、割りと多様だったようです。これは当時の社会流動性上昇を表してもいるようで、当時の社会的流動性の高まりは、EICが邪魔なザミンダーの活動を抑制したことにもよるとしています。塩は陶器商品となり、そのうち落札・支払証明だけが流通し投機対象となります。興味深いのは、この塩長者たちは、その後土地経営に進出し、むしろザミンダール化していくことですが、この塩が投機対象になっているうちは、カルカッタのエリートたちはみな塩に投資をします。そのため、塩バブルが発生したのでした。

第6章:「塩バブル」の崩壊とカルカッタ金融危機:1810〜30年代前半
 塩投機が盛んになり、バブル化が進むと塩価格は上がります。その結果、落札しても現金を用意できない場合が増えてきます。その結果、禁制塩流通が増え、塩価格は低下します。さらに落札分を受け取れない塩商人が増えます。さらに、1820年代末、塩専売当局の役人と商人が結託して、支払いをしていないのに落札・支払証明を受け取って居たというスキャンダルが起こり、落札・支払証明の価値は下落。塩バブルは崩壊し、経営不振に陥った塩商人が続出し、塩落札者の顔ぶれはバブル崩壊以前と全く様変わりしてしまいました。

第7章:変化は地方市場から:地方商人の台頭
1830年代前後から塩買付け人・塩商人はおおむね出身地域と製塩地域を結ぶ以前にくらべて小規模化した地元の有力商人によって占められていきます。その結果、取引構造は地域ごとに分かれ、価格傾向もバラバラになります。また、塩取引による利潤があまり見込めないので、ある程度の財を気付くと、官吏・弁護士・医者など英領植民地統治下で生まれたエリート職業に子弟を送り込んで行ったり、土地を取得しザミンダールとして土地経営を中心にして、塩取引から撤退する傾向がみられました。塩は投機対象としての魅力を失ったといえるでしょう。

第8章:市場の機能と商人、国家
 理論的な話になります。
 18世紀以前のインドの王権は、市場への介入などできません。EICも現地の反発と、コストを嫌うロンドン本社の意向があってやはり市場への介入はしませんでした。第一部にも見られるように、政府は経済の変動に対して受け身だったと言えるでしょう。
 一方、市場の方もバラバラでした。地域で価格動向はバラバラ、地域間取引とローカル取引の担い手もバラバラで、市場の統合は進んでいないとされています。

第9章:塩商家の経営:経営史的アプローチ
 ここ、だいぶ盛りだくさんです。
 まずはビジネスの単位として商家が取り上げられます。だいたいひとつの屋敷に済む三世代同居一族で、ひとつの商家を形成していたようです(財産分割で裁判沙汰になるので記録に残っている)。ビジネス・パートナーを選ぶ際にはカーストや血縁をあまり考慮していなかったようです。経営の特色としては、リスク軽減のための多角化垂直統合(生産者に生産費用を貸し付ける)、水平統合(同業者で価格調整をする)などが一般的で、加えて土地所有で地域市場の支配も図っています。中国と違って政府との関係、捐納で買う科挙資格などは必要とされてないですね。
 実際の経営の担い手は、ゴマスタと呼ばれた雇われ経営者・支店長がおこなっていました。自分の資本で経営するのではなく、商家からの報酬を受け取ってくらしており、当地の事情に詳しく、土地経営も担っていたようです。市場でブローカーとなっていたのがダラールと呼ばれる人々で、情報提供・仲介を行い手数料で利益を得ていたようです。EICは取引の邪魔だと目の敵にしていたようですが、著者は多様な商人を結びつける重要な存在だとしています。
 経営に際してカーストはあまり重要ではなかったようです。ただしバラモンが絡むと、バラモンに恥をかかせないように気を回す、というのがあったようですが。いずれにせよ、カーストを超えた「ドル」と呼ばれる社会的派閥が形成され、そこには多様な出自を持つ富裕層が参加していました。
 塩取引は、前述のように落札しても支払い不能になることがありましたが、このような失敗は不名誉であるとされ、塩取引で成功しても、塩取引からすぐに手を引き、EICの行政職やザミンダールへ移行する傾向が見られるとします。塩専売制度当初とは異なり、ザミンダールになった後、塩取引に参加することはあまりなかったようです。
 これらの経営者たちの競争のなかで紛争がしばしば起こりましたが、そのなかでEICは調停の主体として認められていきました。もともと異なったカーストの間では紛争・調停が避けられていましたが、「ヒンドゥー法」を“発明”していたEICは、ここまで紹介してきたようなカーストを越えた経営・競争・紛争を調停してゆくのに好都合な存在になったのでした。

終章では以下のように、本書の内容を位置づけています。すなわち、1830年代、EICは地域市場の管理を断念し、結果的に脱商業化を達成することになり、1850年代以降の立場を準備することになりました。また、この時期の塩バブル崩壊や不況は、商人をザミンダール化させ同時にEICの裁判所を利用する彼らには、むしろ「近世的反動」と呼ばれる、カーストや宗教による分断を再強化するような傾向が見られたといいます。つまり、厳格なカースト制度などを前提とする近現代のインドの社会構造を決定づけたのは、この1820−30年代だったともいえるのでした。

本書は、塩を通じて19世紀初頭のベンガルの社会経済の展開を手に取るように教えてくれます。はっきりいって日本語では類書はないと思います。結構マジでみんなに読んでほしい。ただ、おや?と思うこともないわけではありません。
たとえば、本書の前半はEICの話なんですが、史料は全部EICの内部文書だとおもいます。ということは、全部EICの担当者の目を通して見ているわけで、地域ごとに人気のある塩の種類が違う、とかカーストがどうの、とか全部EIC社員の認識なんですよね。この辺、現地語史料なんてないでしょうから、相対化できるんかなあ。
あと、専売制なんですけどそもそもEICはなんで専売制をやるんですかね。全体としては塩高値維持政策は無理、という話で、そりゃそうなんですけど、なんでその無理な政策やるのかな、という気がするんですよね。アヘンもそうですが。むしろ19世紀に入ってくると自由貿易主義とかに批判されてますよねえ。それでもなお、海峡植民地とかではアヘン専売やってるしなあ。まあ、これはインド史の話とはちょっとズレますが。
いまCiniiみたら、書評出てないんですね、この本。まじ?かなり面白いんだけどなあ。