読書:『日本と中国経済』

梶谷懐『日本と中国経済:相互交流と衝突の100年』(ちくま新書、2016年)

 2007年毒入り餃子事件のあと、2010年に人民共和国のGDPが日本を抜いて世界第2位になり、土管にハマる少年とか、監視カメラに映った種々の犯罪などの映像がニュースに流れるようになったころ、中国モノの本は何か増えた気がしてて、ツイッタなんかを中心に色々論客が出てきてました。その後、爆買いブームがあって、それが落ち着いて昨年あたりから、一気に中国モノの書籍やツイッタでの中国関連についての言及は減った気がします(たまに習近平袁世凱論とか燃料は投下されはしますが)。その落ち着き始めた頃に出たのが、本書です。いやまさに、ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛ぶんだな、と実感しました。中国の経済的影響力の現出が誰の目にもあきらかで当然のものと映ったときに、決定版が出たわけです。…ヘーゲルなんて読んだことないけど。
 というわけで、内容を紹介します(新書なんで、内容紹介すんのが良いんだかどうか知りませんが)

はじめに
 本書は政治と経済の関わりについて、日中間の「経済交流」と著者のご専門の中国経済から見ていくという本書の軸が書かれてます。短い。

第1章 戦前の労使対立とナショナリズム
 1 中国の近代化とナショナリズム
 2 近代中国経済が不安定な理由
 3 在華紡のストライキの背景
 4 在中日本人のなかの捻じれ

 辛亥革命から2018年で107年目(要するに台湾では民国107年)になります。辛亥革命については、フランス革命みたいにあんまり断絶か否かが議論になってない気がしますが、いずれにせよ、本書は、意識的かどうかはわかりませんが、辛亥革命が起点になっています。
 この章の軸になるのは「在華紡」でのストライキという、中国近現代史(近代史でも現代史でもないんだな、これ)のひとつのハイライトです。これ、その筋の人にはスーパー有名な事柄なんだけど、絶対世間で知られてないよな。「在華紡」ちゃんとグーグルでもIMEでも変換候補にでるけど。
 在華紡というのは、日本資本の中国で操業してた(「在華」)紡績工場のことで、当時からこの呼名があります(戦前は、中国の略称は「中」よりも「華」とか「支」が多い)。在華紡は外資ですから、中国資本の紡績工場(「民族紡」)と競争することになります。民族紡は、おおむね合股制(無限責任・短期出資金持ち寄り)で資金を集めていたため利益配当率が高く、資本蓄積ができないという問題がありました(初期の英・蘭東インド会社みたいですな)。一方、企業・工場所有者と経営者を分離する租廠制度(レンタル工場制度)が一般的で零細業者の参入が比較容易でした。ただ、所有者も経営者もあんまりリスクを取りたくないからこの経営・所有の分離が起こってるわけで資本を蓄積して新しい技術を導入みたいな方には行きませんでした。加えて国家権力による法規制などが機能していないため、契約は二者間の信用に依存せざるを得ず、やはり技術革新への投資ができませんでした。
 しかし、民族紡は在華紡とはことなり太糸でざっくり編む「土布」という中国農村部などで人気のある布を作ったりしていたため、在華紡とは鋭く競合せず、棲み分けが起こっていましたし、技術協力とかもあったんで経営的には対立してるというより、「ウィン・ウィンの関係」(p.36)だったんですが、当時の政治状況においてはそんなことはどうでもよいことでした。
 在華紡に限らず戦間期の工場はどこでも労使間の対立を抱えていたんでしょうが、在華紡の労働争議には中国共産党も関与して、「反帝国主義資本」のための闘争に読替えられていき、さらに日本製品ボイコットなどと組み合わされて日本をターゲットにした運動に変わっていきます。在華紡関係者はこれを労使対立ではないと誤認して強硬策にでて反感を抱かれたりしています(ありがち。こういうときは労働者にアメを与えて離反させないとだろ…JK(古い 「常識的に考えて」であって「女子高生」ではない)。
 さて、本書は労働争議が在華紡で頻発した理由を在華紡の日本型労務管理に求めています。民族紡(と言うか、当時の、あと21世紀初頭の中国の工場でも)では、人集めは包工頭というのが請負でやっていて、給料のピンはねもする代わりに会社との交渉をやってくれたり、全体的にゆるっと働けたのですが、在華紡では工場が直接労務管理を、日本式にやっていて、労働者側がだいぶ不満を溜め込んでいた、という話が書かれています。社畜文化の輸出ですな。何も変わってないね、この国。
 あと、在華紡で中国人役付き労働者が、中国人一般労働者を締め上げちゃうんで恨まれてるんだけど、同じ構造が今もあるよ、と書かれていて、買弁階級乙。英語を話す中国人乙。
 結局、日本の方でも、支那は生意気だという話になっていき、日中戦争とあいなるわけでございます。
 この章で引っかかったのは、在華紡と民族紡のウィン・ウィンの関係は、経営者には利益があっても、普通の人にはその利益が還元されてるかわかんないよな、というところです。昨今話題のアンチ・グローバリズムというか、経営者たちってのは、国際的な資本提携やっててウイン・ウインなんだけど、それがナショナルなところに落ちてくるのかといえば、落ちてこないわけですよ。むしろ、海峡植民地の金持ち華人みたいにイギリス人と仲良くやってて英国籍とっちゃったりしながら、華人労働者を使い倒すみたいなのがいるわけで。そう思うと、経営上の利益がナショナリズムに押し流されるのは、その結末が悲劇的であったとしても、一概に否定は出来ないんだよなあ、と思ってしまいました。

第2章 統一に向かう中国を日本はどう理解したか
 1 国民政府の成立と日本の焦り
 2 満州事変以降の路線対立
 3 新興国としての中国への態度

 蒋介石率いる国民政府下での経済政策の成功が扱われるのが本章です。これは、ここ20年位の民国研究の進展によるもんですよな。なんか、「民国にいい評価を付けるとは何事が、この反動め!」みたいな書評がある若い人が書いた民国史研究の書評に会ったみたいな話を仄聞して、近現代史ほんと怖えな、と思った事がありますが、時代は変わったんですね。
 基本、1930年代の財政制度の話です。まずは民国前半の雑種幣制は、実際には袁世凱銀元を軸にする銀本位だったのでバラバラでもない(これ、黒田明伸『中華帝国と世界経済』じゃないんですね…参考文献に入ってなかった)とか、外交交渉による関税自主権の回復や財政の中央集権化、浙江財閥との協力でおこなわれる国内債の発行(これ、岡本隆司『近代中国と海関』ですね)など、宋子文を中心とする国民政府の財政当局について高い評価を与えてます。さらに、国民政府は、1930年代前半の景気冷え込みに対応すべく幣制改革を断行して管理通貨制度の移行し、経済のV字回復を達成します。
 一方、日本は中国のナショナリズムを嫌い(支那のくせに生意気だ、とジャイアンじゃあんめえし)、満鉄を軸に中国東北部への投資を強化し、さらに満州事変とその後の満州国建国によって中国ナショナリズムと決定的に対立していきます。この日本の強硬論の背景には、金融恐慌・昭和恐慌など日清戦争あたりからずっと続いてきた経済成長が曲がり角を迎え、危機感が横溢していたことが指摘されています。また、戦争が投機のタネになっており、あまり深刻に捉えられていないことも指摘されています(まだこのころは(中世以来)日本本土が戦場になったことないんで当然ですよね)。
 ただ当時の日本には選択肢がなかったわけではなく、たとえば財政緊縮or積極、植民地拡大or対外貿易新興、社会主義者のなかでは当時の日本経済失速の原因を前近代性の残滓とみる講座派or社会主義実現を主張する労農派など、論争が色々ありました。
 とくに日中関係において重要だったのが、幣制改革に成功し、政治経済に於ける統一を進める中国をどう見るか、という論争=「統一化論争」でした。著者は、この時の対中認識を、①どうせ中国は遅れたままという「「脱亜論」的中国批判」、②中国もそれなりにうまくいきそうだからビジネスやっていこうという「実利的日中友好論」、③共産党が新しい中国を作ろうとしてるんだから、停滞なんてしてないし、ビジネスとか帝国主義的でダメという「「新中国」との連帯論」の三つに纏めています。結局、1930年代の日本は①のほうへ流れ、長江流域・沿岸部への軍事的進出を本格化させていくのですが、現在でもこの類型が利用できるとします。

第3章 日中開戦と総力戦の果てに
 1 日中戦争の開始と通貨戦争の敗北
 2 「総力戦」がもたらしたもの
 3 日本の敗戦と国民政府の経済失政
   
 1937年の盧溝橋事件で始まる日中戦争において、日本は占領地に傀儡政権を置き、日本円と等価交換可能な現地通貨(占領地ごとに傀儡政権が違い、通貨の名称も違う)を発行して、日本円経済圏に取り込もうとします。ところが、日本は、現地通貨については乱暴に言えば日本側の銀行の通帳に金額だけ書いとけばいくらでも発行できるようにして軍費調達に利用します(ドラえもんの円ピツみたいだな)。こうすると日本円は1銭も発行されないので日本本土ではインフレになりませんが、占領地ではハイパーインフレになります。これに対し、国民政府のほうは自国の貨幣である法幣の流通量を抑制したり価値の維持に努め、さらに日本占領地域でも価値が維持されている法幣を利用することが多かったために、貨幣戦争は国民政府のほうに軍配が上がります。
 1941年12月、日本はアメリカに宣戦布告をすると、上海租界が日本のものになり、中国経済は「有機的なつながりをズタズタに切り裂」かれます(p.110)。蒋介石が日記で書いているように、対日宣戦布告と大東亜共栄圏構想に基づく南進政策の本格化はアメリカのみならず東南アジアに縄張りがある英仏蘭など、ドイツ・イタリア・ソ連以外のすべての列強を敵に回してるのと同じで戦局的には日本の負けは運命的になっちゃうわけですが、やってる当事者はそれどころではなく、上海租界が日本の手に落ちて以降は、国民政府のほうも財政は火の車、法幣もインフレしまくり経済はボロボロになります。徴兵・徴発は立場が弱い農民にしわ寄せが行きまくり、国民政府は日本に勝つには勝ったが国内の不平不満は頂点に達し、戦後の国共内戦で装備などでは劣勢の共産党に逆転勝ちを許す前提が形成されてしまいました。
 国民政府の失策は戦後も続きます。日本占領地を接収した際に日本側傀儡政権が発行した通貨を回収し法幣に交換して周りますが、その価値を低く見積もりすぎ、いやいや傀儡政権通貨を使っていた民衆を敵に回します。敵の通貨だろうがなんだろうが自分の通貨に対して「そんなん価値ねえよ」と言われりゃ頭にも来ますよね。また、国内産業は戦争で被害を受けていましたがアメリカは貿易バンバンやろうといってきたもんで、色々輸入するんですが売るもんがなくて貿易赤字ばかりが増えます。かくて中国の人々の指示を失い、アメリカにも呆れられた国民政府は共産党に破れ、台湾へ逼塞するのでした。
  

第4章 毛沢東時代の揺れ動く日中関係
 1 中華人民共和国の経済建設
 2 「政経分離」と「政経不可分」との対立
 3 文化大革命期の民間貿易
 4 国交回復に向けて

 1949年に人民共和国の成立が宣言され、国共内戦共産党の勝利に終わると、中国の経済構造は大きく変わります。国民政府系金融機関や旧満洲国の鉱工業は国営になり、朝鮮戦争に伴う軍需増加により、それ以外の私企業も国との関係が密接になります。さらに1950年代にはいると私企業の国営化、農業集団化が進行しますが、初期を除き、中央の財政統制は行われず、むしろ地方政府が一定額を上級政府に上納するという形になっていきます。
 米ソ冷戦にともない、中国と西側諸国の貿易もだいぶ抑制されることになり、当然、日本と中国の正式な国交は結ばれませんでしたが、両者は民間貿易を通じて経済交流を模索します。はやくも1950年代から日中相互に相手国で見本市を開催しています。
 ただ、両者の経済交流は、岸内閣が東南アジア諸国や台湾の中華民国との関係を構築していくなかで、中国側に不信感をもたれ、微妙な空気が流れます。これは、日本側は基本的に「政経分離」を原則としたのに対して、中国側は「政経不可分」を念頭においていたからです。とくにこの時期、毛沢東の独自の社会主義経済建設が進められて、相対的に日本との関係改善を否定しない周恩来の政治的地位が後退したため、中国側の態度が硬化していたことが背景にあるのではないかと示唆されています。加えて、長崎国旗事件という、[reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/1089/1/v6p11_qi.pdf:title=長崎浜町のデパート(浜屋中華民国在長崎領事館がやらせたって話だけど(PDF)] ホントなら大成功やん)で五星紅旗が引きずり降ろされる事件が起こると、鉄鋼・化学肥料などで進められていた長期・大量契約が保護になってしまい、日中経済交流は一旦頓挫しました。
 1960年代にはいり中ソ大陸が深刻化すると対日貿易抑制も解除されます。貿易のにないては日本共産党なども噛んでいたため、文革に対する評価にともない日本側も色々ゴタゴタしますが、日本側が中国側の要求を飲む形で貿易自体は増加傾向を辿ります。このときにできているチャンネルが1972年の日中国交正常化を前提を形成していきます。
 アメリカはベトナム戦争泥沼化に伴い、ニクソン大統領は就任(1969)から大統領補佐官キッシンジャーとともに共産圏との関係改善に動きます。1970年の国連における人民共和国の中国代表政府認定決議は決定的だったのかもしれません。1972年、ニクソン大統領の北京電撃訪問により米中関係は大きく代わりました。これにともなって、1972年9月田中首相・大平外相の北京訪問、日中国交正常化、台湾との断交と相成ります。(本書では1972年3~5月に中国側から調査団が来て色々交渉していることが示唆されていますので、べつにニクソンショック(ドルじゃない方)→慌てて日中国交正常化、という話ではなかったのが味噌です。また、この日中国交正常化を推し進めたのは毛沢東周恩来(と一部廖承志など担当者)だけで、中国国民世論の支持を受けたものではなかったトップダウンのものだったので、あとで中国の人々の中ではわだかまり反日感情が残り、その後の日中関係に影を落とします。
 この章で、国交正常化以前の貿易関係について紹介して、そこに国交正常化に至る交渉のチャネルの存在が示唆されているのはとても重要だと感じます。どうも政治史界隈は、佐藤がどうの、田中がどうのという話になりがちですが、それだけでは外交は動きません(それが重要でないとは言いませんが)。この間、BSでやってた「日中“密使外交”の全貌」でも、佐藤榮作がやってた対中交渉の話が出てて(すっごくおもしろかった)、色々水面下で探り合うチャネルがあって外交交渉はやってるんだよな、ということを気づかせてくれます。この辺の話は2010年代になってから整理されたんですかね。昔読んだ本にはあんまり書いてなかった気もするがなあ(ちゃんと読めてないダケか)
 そういえば、ドルのほうのニクソンショックと、米中国交正常化は大きな文脈では関係ある気もするなあ。米ソ冷戦のほころびというか。

第5章 日中蜜月の時代とその陰り
 1 市場経済へと舵を切る中国
 2 緊密になる日中経済関係と対中ODA
 3 天安門事件による対中感情の動き
 4 「日中蜜月の時代」の背景
 中国の対日貿易が拡大するのは、1978年に訒小平が実権を握り、改革開放が進んでからでした。要するに四人組が消えないとダメ、という話で対外貿易増やすぞっつうのはやっぱり走資派なんだな。
 改革開放期の中国経済の特徴は、「政経分離」がなされていた、つまり、共産党の政治的権力の独占が続いているのに、市場経済へ移行するという、一昔前だと不可思議なところにあるといいます。改革開放においては具体的には、農業生産責任制開始、国有企業の経営者の裁量拡大、地方財政請負制開始、中国人民銀行中央銀行にし、商業銀行を別途設立するなどが行われ、全体としては地方政府が地方経済へ積極的に介入して、銀行や不動作業者と結びつき積極的に投資を行っていくかたちになっていきます。これをやると、経済成長はするのですが、地方政府が無理に投資しまくり、マネーサプライが伸びまくりになるので、80年代末にはインフレ年率20%を記録します。で、これが経済政策の担当者趙紫陽の失脚とその後の民主化運動につながるのはまたあとの話。
 対外貿易も開放的になり、経済特区での貿易の拡大、外資導入の枠を広げ、農民工などの安い労働力をつかった労働集約的軽工業産品を輸出するという比較優位原則を地でゆく構造ができあがります。
 この頃の日中関係は、訒小平の訪日(新幹線乗って喜ぶて、西太后か)などにもあるように基本的に良好でしたこれは、アメリカ・ソ連とも微妙な関係の中国にとって日本は付き合いやすかったからでした。この頃の経済担当者は、胡耀邦趙紫陽で政策については少し異なるかもしれませんが、国際主義・市場経済を重視する政治家だったように見えます(そこまで本書では書いてませんが)。このころの中国の言い方は、「日本は近代化の先輩」みたいな、日清戦争直後みたいなことを言って、褒めてくれるわけですが、ちょっと前に日本を冷静に見ようみたいなヒトはこれに影響を受けるというか、日本の褒めるとこはそこしかないというか、すぐに「日本は明治維新が上手く言ったのに、中国がダメだったのはなぜだ、侍がいないからか」とかよくわかんないこと言い出すので、これもあんまり中身のない定型表現なんだな、ということを思い出したりします。
 当時は日中経済関係も良好でした。これは、日本と中国で競合する製品はなく、貿易不均衡が問題にもならず、くわえてODA(とくに長期有償援助、いわゆる円借款)も拡大します。日本にとってODAは二次大戦の戦後賠償としての意味もありましたが、同時にアジア地域の経済復興・成長を促進し、高度経済成長を迎えていた日本の工業産品の市場拡大としての意味もありました。
 このような状況を急速に冷え込ませたのがいわゆる天安門事件でした。趙紫陽は「解明的」な改革案を提示して共産党内の保守層の反感を買っていたのですが、加えて、前述の高いインフレ率=物価上昇の責任を問われます。保守派がここで経済政策を担当する事になりますが、金融政策について無知であって失策を重ね、スタグフレーションを引きおこしてしまいます。これが、天安門前で行われていた保守派批判を軸とする民主化運動の背景になります。天安門前の学生が鎮圧されたのち、趙紫陽は2005年まで生きながらえたものの、その存在は歴史から消されてしまいます(光緒帝みたいだなあ)。
 天安門事件は、ちょうどゴルバチョフが北京を訪れていたもので、世界中に緊迫した事態が中継されてしまいます。西側諸国は中国の強権的な態度を強く批判しますが、日本は素早く、中国を孤立させない、として経済関係は早期に回復しますが、日本世論の対中感情は著しく悪化しました。かくて、国交正常化以来の「蜜月時代」は終わりを告げます。
 この章では、天安門事件を経済的背景から説明していて、とても説得力があります。結局趙紫陽が祭り上げられたりしてるわけで、学生たち民主派が本当に民主主義を実現するつもりかあんまりよくわかんないんですよね。反体制ってそういうもんかもしれんけど。政権取ってから考える、みたいな。結局、香港の雨傘革命も台湾の太陽花運動も、経済的な背景があるので、政治と世論だけで考えるのは良くないということをよくよく思い出させてくれます。

第6章 中国経済の「不確実性」をめぐって
 1 さらなる市場化へ
 2 経済的相互依存関係の深まり
 3 中国共産党反日ナショナリズム
 4 中国経済はリスクか、チャンスか?
 
 お、表6−1の出典、書名が一部イタリックになってないですね(いやな性格。
 さて、1992年の訒小平の南巡講話といわゆる「社会主義市場経済」路線によって海外からの投資はふたたび活発になっていきます。また、地方に移譲されすぎていた財政上の権限を中央へ戻す改革を朱鎔基が始め、インフレ率を押さえ込むことに成功します。さらに非効率な国有企業の株式化や合併買収などで再編を行い、リストラを伴いながら、国有企業の割合を減らしていきます。ドル元為替レートの調整なども行い、輸出主導型への路をさらに進めていくことになります。
 日中経済関係は中国側の工業構造の変容もあり、緊密化します。1980年代には中国からは原材料や一次産品が輸出され日本からは工業製品が輸出されていました。ところが、1980年代の中国では工業化が進み、日本と中国は商品ごとに棲み分け、相互補完が進みます。さらに2001年の中国のWTO加盟以降は、日本から中国へ中間財(部品など)が輸出され、中国から欧米などへ最終財が輸出される、つまり中国の輸出が増えるほど日本の輸出も増えるという構造になっていきます。
 一方、日中関係は、中国における愛国教育の進展による反日感情の悪化、日本側の対中感情悪化により曲がり角を迎えます。具体的には日本では対中ODA批判と中国脅威論が結びつくようになり、中国では毛沢東周恩来が押さえ込んだ戦時中以来の反日感情共産党主導のナショナリズム教育のなかに組み込むことで、社会の中の不満と反日感情が結びつきやすくなります。この傾向は2005年の中国各地で起こった反日デモによって決定的になり、その後も続くことになります。そのまま、日本では、中国でのビジネスはハイリスク、という認識が刻み込まれることになり、2010年の尖閣問題などで両者の関係は冷え込んで行きます。
 日本での対中ビジネスのリスクは、「チャイナ・リスク」と呼ばれたりしますが、そのなかで問題になるのは、中国経済が不安定、日中関係が不安定という要素です。後者は上述の通りですが、前者については、従業員の賃金上昇が、日本企業にとっては問題だと考えられました(今や日本のほうが給料安いとか言われちゃうわけだけど)。また、地方政府がダミー会社をつかった「隠れ債務」が結構あって、これがそのうち問題になるのではないか、という懸念もあります。これを規則を上手くくぐり抜けて融資を獲得しているという意味で「したたかさ」と捉えることもできるかも知れませんがいずれにせよ先行きは不透明です。
 この章の最後に、中国経済全体のマネジメントのあり方が確認されています。中国政府は、AIIBや一帯一路政策を通じて、海外への投資を強化し、余った外貨を還流しながら新興国経済を活性化しようとしています。一方で、国内インフラへの投資による農村と都市の格差是正もかんがえているので、両者の「資金の奪い合い」が起こりかねないという懸念も示しています。
 この章の評価は少し難しいです。日中政治関係については基本的に世論の一時的な吹き上がりに左右されます。一方、経済関係は、だいぶ緊密になっており、これが分裂することはあんまり考えにくい、というのもわかります。で、中国経済は賃金上昇や対外投資、国内投資のバランスなどいろいろな要素があり、今後どう転ぶかいまいちわかりません。それはそうなんですが、じゃあ日中関係とその中国の状況はどう関係するのかな、という話なんですが、現状はわかるんですけど、今後はわからんなあ、といったままでした。まあ、先のことはわからんので、書き方としてはとても誠実なんですけどね…。

第7章 過去から何を学び、どう未来につなげるか
 シメに紹介されるのは現在の労働環境・対中認識・ダイナミズムの三点です。これは、第一章で取り上げられた100年前の状況と相似しているものとして提示されます。
 日系企業における労働環境はハッキリ言って悪いわけですが、この理由として、労働組合的なものがないことが指摘されます。つまり、政権を握っているのは共産党なので、実際の労組にあたる「工会」は上意下達機関にすぎず、さらに出稼ぎ農民労働者などはそこに救われることはほとんどなかったのです。民間のNGOで労働問題に感心を寄せても、そもそもNGOの活動は共産党に睨まれているので何もできず、ということになります。その意味では、労働者が不満をためこみ、それを例えば政府が反日デモとかに向けさせて誤魔化そうとすると、デモが暴走して、反日ナショナリズムが暴発したりするかも、という懸念を示しています。
 これに対し、日本の方は中国についてちっとも理解が進んでいないとします。たとえば、GDP統計は嘘だ、で済ましたり、AIIBは怪しい、と済ましたり、そういうことしてるとむしろ国際社会で孤立するのは(と言うか100年前にしたのは)日本じゃないか、と指摘します。
 ダイナミズムの方は、深圳の事例が紹介されます。深圳経済特区に指定され労働集約的なアパレル産業などの委託加工貿易で繁栄していた地域ですが、現在では中小企業が寄り集まって、技術知識を共有しながら、「安上がりなイノベーション」をどんどん出してゆく(その中には大当たりもある)、という構造が生まれています。これは、民国期の租廠制度を彷彿とさせます。一方で、当局の管理をすり抜ける技術やサービスもうまれ、これが不確実性を増す要因とみられる場合もあることを指摘して、可能性と不確実性を内包した中国経済の姿を描いて、本書は終わります。
  この章は、現状についての紹介で、本書が出版されて、まだ1年ちょっとしかたってないのに、「深圳万歳」とか言い出す変な若者(でも26とかだったよね?)とかでてきて、状況が変わっていて、評価が難しいです。元ネタになってそう(でも参考文献には入ってない?)伊藤亜聖『現代中国の産業集積』を読まないとかなあ、なんて思います(ところで、このかた著者名が孟子…)。


 というわけで、新書の紹介のくせに長くなっちゃってるんですが、本書はねえ、すごい詰め込んであるんですよ。1文も無駄にしない感じ。これ読むの大変ですよ。高校世界史の知識で読めるかなあ。なんか、最近の中国関係の新書、まだ難しくて、これではやっぱり素人には訴求しねえよな、素人はケント・デリカットギルバートの方行くわなと思ってしまいました。たとえばp.94には以下のように日本の勢力範囲内における経済方策がスッキリまとめられていて、その後内容が詳しく述べられるのですが、これを中韓の陰謀とかアベ政治とかに行っちゃう輩には理解できず、以下のように思うのではないでしょうか。
 「英米に対抗して自立的な経済圏を構築することを目指す」←わかる
 「日中戦争開始以降、」←わかる
「日本(軍)は中国大陸において複数の傀儡政権を押し立て、」←傀儡ってなに
「戦費を調達するために」←わかる
「日本円とリンクさせた」←リンク?ゼルダ
「現地通貨と流通させようとする」←現地通貨?流通させる?
いや、その後丁寧に説明されてるんでしょうけど、でも素人には難しいよなあ。なんか中国関係の話、本書みたいなすっごい詰め込まれた良書があっても、素人には遡及しないんですよね。まあ、学術研究ってそんなもんかもしれんけど、井上純一氏に漫画にしてもらうとかでもないと、中国理解はすすまんかもしれんなあ、なんて事はおもいました。(でも
「キミのお金はどこに消えるのか」
も文字が多くてどうかと思うけどね…(いや楽しく毎回買ってますが))

すこし、本書の内容に話をもどすと、在華紡におけるストライキのなかに、現在の日中関係との相似形を見出すんですが、これと似たような構図を歴史教科書問題でも見て取れたんですよね。中国で新しく整備されてく教科書が反日的だぞー、つって日本が吹き上がるわけで。でも、中国の教科書、今のはともかく、民国期のは結構抑えた記述で、自省に満ちてていい感じだと思うんだけど、どうせ日本で吹き上がってる連中は中身なんか見ていないからね。(川島真「日中韓歴史教科書問題」Nippon.com

 そうすると問題になってくるのは、相手のことを見ないで文句ばっかい言ってる人々の存在で、勉強してたりエリートリーマンみたいな高みから見てるとウィンウィンなんだけど、人民同士はよく知らんまま文句言い合ってるみたいな構図のような気もします。これが日仏関係とかだと人民同士が何やっててもどうでもいいんだけど、日中(あと韓朝)はすぐとなりで、一応、領土をめぐる問題も抱えてるんで、こまっちゃうナというところなんでしょうね。そうすると、問題は、日中関係というよりも、グローバル資本・知識人と、ナショナルな枠組みの中にくらす人民のギャップなのかもしれないなあ、という気もしてきます。
 じゃあ、中国関係の話を(中国では日本を)、どうやって上手く人民のみなさんにお伝えするか、有り体に言えば啓蒙するか、なんですけど、やっぱりメディアを上手く使うしかないんだろうな、と思ったりします。とはいえ、今の日本の対中感情、かなり改善したと思うんだけどな。梶谷先生が、『「壁と卵」の現代中国論』で毒入り餃子の話をされてたころとだいぶ違って、大陸のドラマとかもやってるわけです(比較的人気があった「宮廷女官 若曦」の主演の呉奇隆が台湾人なのはご愛嬌)。そう思うと、なんか「啓蒙」みたいのはなかなか難しいので、しっかり学術的に分析結果を蓄積して、たまに新書出して、みたいな感じで行くしかないんでしょうし、それを本当に着実にやってる梶谷先生、偉いなあ、と思います。(京大の明清史の先生とか、ちっとも新書書かないじゃん?岡本先生だけじゃん?)
 

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