読書:桜井啓子編『イスラーム圏で働く』

大変楽しく読みました。

ムスリムの生活習慣をひととおり理解するにはちょうどいい分量だと思います。もちろん、ある程度知ってる人からすれば新味はないんですが、それは逆に言うと、日本社会でもその気になれば素人でもそこそこの情報収集ができる事を示しているわけで、ムスリムの留学生や移民、観光客がきても、そこそこ対応できるようになりつつあるんだなあ、とむしろポジティブに感じました。

とりあえずちょっとウケたのは、

「この言葉は、エジプトの土産物屋さんで値切るときにも使えます。「ザイ・マクンナーシュ・アスディカーイ」。要は、「私たちは友達でしょう。この価格は友達ではないようじゃない」ということです。」(139頁)

なんと、「アッサラーム商法」の逆やんw

なお

(近所のクリーニング屋@イランに三回いったらだんだん値上げされたことについて)「リピーターになってくれたのだから、もっと高くしてもまた来てくれるだろうという発想で値を釣り上げているのだというのです」(77頁)

っつうのもあるので、結局交渉次第なんじゃんよ、ということになりますな。ちょっとまえの中国とおんなじですな。こういうのが無くなって、値札ついてる店に移行していくの、だれか理論化してないのかなあ…。交渉にかかる時間と、相場よりも有利な価格で取引できる可能性のトレードオフだと思うんで、割と出来そうだけどな。

一番「へえ」だったのはここです。

「トルコには二種類のトルコ人がいます。宗教熱心か、宗教を毛嫌いしているかです。ニュートラルな人は少数派です。驚くほど真っ二つに分かれています。この二つのグループでは、子供に付ける名前も、通わせる学校も、買い物をするスーパーも違うのです。」(125頁)

世俗的であるかは、個人で選択できるんですかね。エルドアンを支持するかとかもある程度決まってるのかな。どれくらい流動化し得るのか興味が尽きません。自力で調べようはないんですが…。

上も含めてなんですが、やっぱりムスリムというのもいろいろで、別にみんなガリガリの真面目なイスラム教徒っていうわけでもないんだな、ということがよくわかりました。例えば、

「普段イスラームを毛嫌いしている人も、死んだらモスクで祈りをささげられて、メッカの方向に向けて埋められる、など、「やはりイスラームのくになんだな」と思います。」(129頁)

というか、イスラム教は宗教カテゴリに入ると日本では思われがちなんですが、なんかその辺も微妙な気がしてきました。むしろムスリムってのは、西アジア起源の生活習慣のある種の束を共有している人なんじゃないかな、と。そうするとあれだな、日本にもなんとなく日本的な生活習慣(靴脱いで生活空間に入るとか、クリスチャンでも葬式の前の日に通夜やるとか)というのはあるわけで、それが成文化されたりはしてないけど、それと同じような感じかな。

さて、ひと通り読んでの感想は、まずは「異文化/他者を語るというのは、自分を語ること」なんだなあ、ということです。まずは下記のインフォーマント(とまで言っていいのかわかりませんが)を男女別に並べておきます。

女性 87年生/CA 78年/記者 70年/現地会社員 66年生/開発援助
男性 64年生/商社 57年/記者 38年/商社 56年/商社 47年/技術者 59年/商社 72年生/日系企業 82年生/日系企業 59年生/観光

男性が企業からの派遣がおおく、女性は個人の選択で当該地域を訪れる傾向があるように思います。実際中身を読むと、男性は仕事の話が中心、というかそればかりです。日本における男性の位置づけがよくわかるように思います。そんななかで、すこしへえ、と思った発言がこちら。

インドネシアでは、男性が一家の大黒柱であるという考え方が根強く残っているのです。」183‐184頁

日本では、「男性のみが一家の収入を担うという考え方は古い」と思われていることを端的に示しています。実際にはぜんぜんそんな男性中心主義は克服されていませんが。

ほかにも、カイロで酒を買うと黒い袋に入れられる(38頁)という話で、ああ日本のドラッグストアでも別に黒い袋とか紙袋に入れられるものがあるな、と思いましたが、むしろあからさまであんまり意味なくない、とも思ったりはします。


あとは、「これイスラーム関係なくない? こないだまで日本人もそうだったやん あるいは日本で教育受けた人間の異文化認識の型なんじゃないの?」というのをいくつか。実際本文中にも、その旨、指摘があります(156頁)。

 ☆11頁「アラブ人がアラブ人のクルーに対して「特別扱い」を求める」
 …JALとかANAとかだとそういうオッサンまだいますよね。かなり減ったけど。昔のJALANAに乗ってたオッサンオバサンは日本人CAにめっちゃ偉そうで、「特別扱い」求めまくってた気がしますな。日系じゃなくても、日本人CAには態度が違うオッサンオバサンはいてるな。

 ☆79頁「契約書の扱いがテキトー、カネにシビア@イラン」
 …いやあ、そういう人日本にもたくさんいるじゃないですか。つか、これ、1980年代の台湾いったビジネスマンが言いまくってたことですな。

 ☆81頁「社員にとって最も大切なことは、ボスに嫌われないようにすること@イラン」
 …日本の話ですよね?

 ☆そこかしこに出てくる「イン・シャー・アラー」
 …やだな、日本にも「前向きに検討します」っつう返答があるじゃないですか。台湾いった商社マンが「あいつら『馬馬虎虎』言いまくってて仕事がテキトーでムカつく」っつってたのと同じですなあ。馬馬虎虎、満洲語語が元だそうですね。つか、そもそも日本語でだって「そうですねえ」というのは肯定か否定か分からんじゃないですか。どんな言語にだってそういうのあるでしょ。

 ☆そこかしこに出てくる「明日(ペルシャ語?ではファルダ−、アラビア語?ではボクラ)」
 …やだな、日本にも「そのうちね」っつう返答があるじゃないですか。上に同じ。

 ☆そこかしこに出てくる「現地企業はそこそこ国際化していても、決定権は現地人が持つのがイライラする」
 …あれ、日本ってそうじゃなかったけ?そうですか、白人様か名誉白人が決定権がないとオカシイんですか。非公式帝国主義ですねえ。

ほかにも、あれ?と思った話なんですが、22−23ページに「ウラマーが月の満ち欠けを実見できないとラマダーンに入れない」という話なんですが、(乱視だったらどうするというのはともかく)イスラーム暦ってちゃんとあるんじゃないの?月の満ち欠けまで計算して確認してあるんじゃないの?と素朴に疑問に思いました。
以上です。