読書:浅羽祐樹『韓国化する日本、日本化する韓国』

韓国化する日本、日本化する韓国

韓国化する日本、日本化する韓国

読んでみました。
えっと、感想としては、なんか違うな…、と。どこに違和感があるんかなあ、と戸惑いながら読みました。
勿論主張はだいたい同意するんですけど…。うむ〜…。趣味なんかなあ。

下手な感情に流されずに、「クール」に見るのって大事だし、まずは「ゲーム」の「ルール」を理解するべきだ、それから戦略を立ててゆくんだ、というのは、その通りなんですよ。なんですけど、帯に「これが、世界標準の思考法です」と書かれちゃうと、ですね…、なんというか出羽の守っぽいな、と。全体として、今の国際秩序というか「ルール」は欧米=西側主導なんだから、そこに合致した行動をとっていくしかないんだからいろいろ飲み込んで、そこはプラグマティックに行こうや、というのは同意というか、それしかないんです。しかし、なんというか言い方はあるし、それを理解していない連中を断罪するのも何かなあ、と感じるんですが。

とまれ、へええええ、と思ったところから。

p.199
「「嫌韓」の震源地となっている、まとめブログの6割以上が韓国系のサービスである(韓国の悪口を書き込むことで、向こうに多大な広告収入が入っている)という、いびつな現実…」

 へえ、そうだったんですか。というか、まとめブログのサービス主体ってなんだろう…。まとめてるやつが、ってんじゃなくてブログサービスが、ってことですよね。ちょっとデータが見てみたいです。そういやHatenaは京都の会社でしたね。

p.208
「かつては中長期的な外交政策の立案に活用するべく、脂の乗った中堅の研究者を在外公館に2〜3年勤務させる「専門調査員」というスキームがあったのですが、今ではジュニアの研究職に就く前の大学院生が食いつなぐ、派遣事業になってしまっている状態です。」

 へえ、専門調査員は昔はそんなものだったんですか…。でも、あれ今は新聞の切り抜きをするのが仕事、なんて揶揄されてますけど…。ところで、引用中にジュニアって出てますが、これはテニュアじゃなくて?なんかジュニアの研究者、って2代目とかか、と思ってしまいました。


あとは違和感を感じちゃったところをあげていきます。

p.104 
「しかし問題は、どこまでも本当の自由民主義体制になったのか、という点です。
 先に引用した英国のエコノミスト誌は、今の韓国について、「民主主義体制かもしれないが、リベラルではない」という非常に手厳しい評価を下しています。
 同じような評価を受けている典型例は、今のロシアです。欧米主導の「位相」(引用者注:ざっくりいえば“世界いい国ランキング”)社会で生きていくうえで、ロシアと大差がないように映るのは、韓国にとって決して望ましい事態ではないでしょう。」

 ううーん、ロシアと一緒じゃだめですか…。なんでですか。ロシアだって、ウクライナとシリアの件で西側と関係が微妙なだけで、あそこは政治制度が理解できんからダメだ、ということにはなってない気がするんですけど…。まあ、ロシアが引き合いに出されてなければ、それでいいんですけどね…。

pp.134-135
「安倍首相ほか主要閣僚による靖国神社参拝も同じです。時の総理大臣としては「行かない」選択をとるのが、いまの国際社会へのプレゼン戦略としては有効のはず、というよりも「行かない」以外はないはずなのに参拝を強行しました。中韓だけでなくアメリカからも示された非難に対して、国内では「日本人の精神を守る」とか「内政干渉だ」などという反論が上がります。これもピンぼけ。
…(中略)…
是非はともかく、それが国際社会の「ルール」なので、敗戦国としては致し方ないところがあります。
もちろんその「ルール」に従ってばかりもいられないという思いもありますが、いまの日本が「ルール」に背いてでも自らの正義を貫くことが、はたして賢いやり方なのか?大いに疑問です。」

いやそりゃ、確かに疑問です。安倍ちゃんとその周辺は、マジで頭おかしいんと違うんか、と思うことは一再ならずあります。ありますがしかし、それでもなお、国内向けのパフォーマンスを優先する理由ってなんだろう、ってほうに関心が向くんですけどね…。それなしで、断罪しちゃうのはちょっと…。

p.151
「韓国は成人男子に、20か月ほどの兵役を課しています。20台の大切な時期に大学のキャンパスから離れ、「上意下達」という軍隊文化にドップリ浸かると、何かをゼロから生み出そうという、今一番大切なスピリットが育ちにくくなります」

 …え…そうなんすか…。うーん、何かなあ…。じゃあ、韓国の女性には兵役がないですけど、彼女たちはイノベーションが得意なんでしょうか…。
 いやまあ、軍隊も兵役もろくでもない、というのはもちろん同意なんですけども…。

p.223
「日韓ワールドカップが行われた2002年当時、…(中略)…ニュース番組などで、アメリカやヨーロッパの一般の人たちは、こんなことを言っていました。
「日本と韓国って、同じ国じゃないの?」
「距離も近いし顔もそっくり。違いがわからない。」」
世界の目から見たら、そんなものです。日本と韓国は、大体一緒の国とみなされています。…(中略)…
同じ近隣国でもたとえばイギリスとフランス、ロシアと中国、ブラジルとアルゼンチンでは、こういう認識にはなりません。…(中略)…
ワールドカップに関しては、もともと日本の単独開催だったのに、韓国側の強引なロビー活動によって共催になったのはたしかですが、ワールドワイドなスポーツイベントをともに行うことができたというのは、日本と韓国は相当に密接で、歴史も価値観の共有できた、世界でも例がないほど協力的な関係だった証拠ともいえます。」

 ごめんなさい、ここだけは納得いかないです。日本と韓国は隣で、よくわからんけど、ほかのところは混ざらないなんで嘘でしょ。オランダとベルギーの区別つくのか、スウェーデンノルウェーの区別がそんなにはっきりその辺のオッチャンオバちゃんにつくわけないじゃないっすか。旧ユーゴなんて絶対混ざってるでしょ。中東だって混ざってるでしょ。英仏・中露は、メジャーすぎる国だし、ブラジルとアルゼンチンは間にウルグアイが入って、むしろウルグアイはアルゼンチンと国旗が似てるんで混ざるとかなんでは。サッカーネタなら、南アフリカワールドカップの時に、スロベニアスロバキアの通訳の取り違えみたいなのがありましたよね。どこだってそんなもんでしょ。それに、サッカーヨーロッパ選手権(EURO2012)はウクライナポーランドの共催でしたけど、あれ、歴史認識とか共有してるのかしら…。2006年のオーストリア・スイスはしてる気もしますけどね。
 あと、ワールドカップで、韓国の「狼藉」をみちゃったのが日本の対韓感情のターニングポイントだったっていう話は、もうスルーされる話なんでしょうか。もちろん、それ以降、もっと悪化しちゃったので、あのころはまだまだよかったよねえ、となるのはよくわかるんですけども…。

p.230
「実は国民性なんていうものは、ないと考えています。むしろ日韓とも、階層の差が顕著です。知的に開かれ、経済的にも恵まれたクラスタの高い人たちは、まったく「嫌韓」「反日」ではありません。そちらはそちらでうまく通じ合って、ビジネスなど交流を盛んにしています。一方「嫌韓」「反日」の人たちは、互いの国を行き来しようなどとは考えていません。傾向として学歴や年収が低く、乱暴な言い方かもしれませんが、リソースに恵まれていない人が多いです。
 一般に、社会階層の高い人ほど、異質なものに対してオープンな姿勢であり、階層の低い人は異質なものを嫌い、排他的になるというのは、全世界的な傾向です。国境ではなく属性の違いが人々の間で分断線になりつつあります。歴然たる階層社会を、国民性の議論が巧妙に隠しているという、厳しい現実を直視する勇気が必要だと思います。」

 このあたりが本書最後のまとめにあたる部分なんですが、違和感の理由が分かった気がしました。つかですねえ、そんなことしってるよう…、と。なんというか、本書の対象は、大学1年生の前期か、あるいは特に何にも知らないけど、わりと真面目な感じのリベラルっぽい考えを持ってる人なんでしょうね。で、その人たちに、「あなた方はそこそこの階層なんだから、ちゃんとやりましょう」と呼びかけてる、わけなんですね。
 うむー、うむー、いやまあ、そりゃ「ちゃんとしましょう」というのはその通りなんです。その通りなんですけどね…。
というわけで、全体としては、違和感が2つあって、一つは各種データがなくて、わりとのっぺりしてるんであんまり驚けないな、というのと、あ、あてくしは本書のターゲットじゃなかったんだな、というところです。

あ、あと消化不良な点がもうひとつ。

p.53に以下のようにあります。
「韓国のよくわからない面の最たる例が、「司法判断が国民情緒に流される」ということです。
 本来、法というのは厳密に文章によってルール化されているもので、感情的な判断や政治的な思惑は入り込まない、というのが大原則となっています。しかし韓国ではどうやらそうではないようです。」

で、以下、靖国放火犯、対馬観音寺仏像窃盗犯、徴用工問題、セウォル号船長の件などが触れられていました。もちろん、植民地時代と独裁政権の時代についての認識の相違(日本側は、“法的根拠はあった、だからといって良かないけれども”で、韓国側は“植民地化の法的根拠もないし、独裁政権の合意には正統性もないから、やり直さないと”という感じ?)なのはわかるんですよ。しかし、司法が、割と国民のその時々の判断に合致しやすくて、しかもそれを政府が割と尊重する(日本はむしろ全然尊重してない)のはなんでや、というところが、気になってたんですよね。その点については答えは本書からは見いだせなかったように思いました。まあ、すぐに「なぜ?なぜ?」って言っちゃうのはイカン、ということが23ページに書いてありましたけどねえ。しかし気になるなあ。