読書:内藤理佳『ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産』

ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産~「マカエンセ」という人々~

ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産~「マカエンセ」という人々~

いやあ、ほんと日本人の研究者ってどこにいっても聞き取りしてるのな、というのをしみじみ感じさせる本を読みました。

第1章 存在しないマカエンセの定義  
 マカエンセのアイデンティティが「ポルトガリダーデ」=ポルトガル的ななにかを軸に成立していることを確認します。
第2章 マカエンセの誕生とコミュニティの形成
第3章 日本・マカオ交渉史とマカエンセ

大航海時代ポルトガルの海外進出から、マカオへの居留開始までが第2章、対日貿易カトリック布教、「鎖国」に関するおなじみの話が第3章です。本文中に「知られざる」ってあったけど、何もそんな観光用の文句をつけなくても…。日本中世対外関係史では、むしろ飽きるほどやってんじゃないですか、この日本-マカオ関係。編集者のコメントとかなんかな。
第4章 マカオの主権をめぐるポルトガル・中国交渉史とマカエンセ
  アヘン戦争以降の、ポルトガルによるマカオ行政権獲得から返還までの通史です。なおどこにでも必ず書いてありますが、マカオは法的にはポルトガルの植民地になったことはありません。
第5章 返還後のマカオとマカエンセの現状
返還・カジノ業界の成長・世界遺産認定などのここ20年ほどの概況と、そのなかでポルトガル的要素が薄くなり、かつマカエンセ・コミュニティから離脱する(海外移住含む)様子が描かれます
第6章 マカオの祭礼行事とマカエンセ
第7章 マカエンセの伝統料理「マカエンセ料理」

  マカエンセのポルトガル語で名前がついている文化について紹介されます。例外は第6章のお祭りで、哪吒など中国系住民のものが含まれます。もともとマカオには、マカエンセになろうとはしない中国系住民(広東系のほうがよいか?)がいたと思いますが、本書では割とパスされていますね。まあ、マカエンセじゃないですから当たり前ですが。
第8章 マカエンセのことば「パトゥア語」
第9章 マカエンセの文学
  アイデンティティと密接にかかわる言語と文学については、割と力を込めて言及されています。まずはポルトガル語クレオールであるパトゥア語です。基本的には口語で利用されるもので、活用がぶっ飛んでるようです。現地ではしばしばマキスタと呼ばれたようですが、そっちの呼び名の方がマカオっぽい気がします。リンガ・ニョニャ(若い女性の言葉)と呼ばれたそうですが、この語からはマレーのニョニャ・ババを思い出します。やっぱり口語は女性のモノ扱いなのでしょうか。正式にはポルトガル語が男性によって使われるべき、という観念があったのでしょうから、保守的だね、カトリックは、という感を持ちます。あと、「ポルトガリダーデ」と矛盾をはらむような気もすこししますが、おそらくそこまで問題にはなっていないのでしょう。なお、文学作品はおそらくほぼすべてポルトガル語で編まれているのでしょうから、パトゥア語の位置づけというのが何だか奇妙に感じられます。単純にマカエンセのアイデンティティの核とはいいがたいような…。話者が少ないからでしょうか。
第10章 マカエンセの語り「わたしたちはこう生きる」―マカエンセへのインタビューから(2008〜2013年)本書のメインはここです。12名に対するインタビューが収録されています。質問は「マカエンセとはだれか?」と「返還以降どのような変化があったか?」が中心です。失われゆくポルトガリダーデをどのように評価するのか、で今後のマカエンセというアイデンティティの未来への認識が異なるように感じました。興味深いのは、割とインフォーマントの容貌について言及があることです。顔写真付きです。やはり、見た目で判断される部分がある、というのがミソでしょう。たしかに顔の濃いイベリアっぽいおばちゃんが広東語しゃべり出したらびっくりですよね。逆に平たい顔のアジア人がネイティブのポルトガル語を話しだせば、ポルトガルの田舎の人は驚くでしょう。ただまあ、香港のインド人も広東語しゃべるしなあ、というのが引っかかったところです。インタビューの中で、あの言葉はできる、あの言葉は書けない、みたいに言っていますが、出来る出来ないのレベルが割と高い印象を受けました。つまり、マカエンセは基本的には中産階級以上の人々であるということです。だって、大陸の人、こどもをヨーロッパの学校に入れるのにめっちゃ苦労して、法律の隙間とか狙ってるわけで、なんだか隔絶しとるなーと感じました。
第11章 マカエンセの未来
  著者のまとめ、といったところでしょうか。

というわけで、割と近いんだけど、ほとんど知られていないマカエンセについて、マカエンセの立場から紹介した本で、これはなかなか貴重です。いやあ、日本人、どこでも分析しとるな。すげえ。

読みながら思ったのは、ポルトガル本国は何やってんのかな、ということでした。対中関係についてあっさりしているのは、著者が中国語を解さないからだと思うし、それはまた別の専門家がやるべきだろうから、それはよいとして、ポルトガル本国の対中、対マカオ政策について、インフォーマントの“ない”という話よりも踏み込んではいないようです。ただ、中国政府だけでなく、ポルトガル側の関与は、おそらく小さいとは思うが、ないわけではないのではないかな、と思います。たとえばFundação de Macau澳門基金会(いまは中国政府の金が入ってるけど、元の設立は?)、Fundação Oriente(こっちも80年代の設立当初はポルトガル本国の意図があったのでは)、Instituto Português do Oriente(Instituto Camõesが成立に関与)とか。マカオ空港も半分は中航だけどある程度はポルトガル本国から出てるんではないですかね。ポルトガルだって大航海時代の遺産も使えるもんなら使いたいと思いますし。あと、マカオEUの一般特恵関税適用なんだっけ?ヨーロッパの連中もタダで引っ込むとは思えないけどなあ。
あとは、個狸的な興味なんですけど、マカオ経済の概況はもう少し突っ込んでわからんもんかなあ、と。インタヴューを基にしているという性格上仕方ないんですけどね。この点はむしろ中国語の研究のほうが進んでいるはず。中国語話者のニーズはマカオ経済にあり、昔からそこにいた人たちにはない、という身もふたもない現状によるのでしょうが…。でもまあ、直接そのひとたちから話聞いちゃったら、多分、社会経済的背景を前面に押し出した叙述にはできないでしょうからね。

あと、揚げ足取りなんですが、巻末の年表に、「1636年 明朝滅亡・清朝建国」とあってビビった。まだや!まだ大明はおわっとらんのや!(どうでもいいですね…すいません)

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