比較対象にされる憂鬱(丸焼けにされた感想)

さて、今回の件は、個人的にいい勉強になったなあ、と思います。イライラ振り回して、とばっちりくった池田先生と與那覇先生には、ほんと申し訳ないのですが…。

(7月1日追記:というわけで、與那覇・池田『気分はまだ江戸時代』のレビューも書いてみました。買ったんだぜ、ちゃんと

あと、インターネット、ほんと怖い。誰が見るんだ、と思ってたけど、どんどんいろんなところに流れていくんですね。でも、のべ1000人も見ないんでしょうし、それもあっという間に忘れられるんでしょうねえ…。

まず、Rosenthal and Wongを読んで(全部じゃないけど。すいません)、当たり前だけど、これは英語圏の読者に向けて書かれてるんだな、と思いました。これは中国に関する本ではなくて、ヨーロッパの歴史に関する本なのだということがよくよく理解できました。だから、話の骨子は、「良い子のみんな!こないだまで、ヨーロッパこそ世界の中心みたいなこと(ウォラステインとかも)言ってたけど、比べてあげるからよく見てみなさい、中国とかのほうがすごいぞ、というかむしろ我々ヨーロッパ、ダメすぎだ!(AA略)(ただし産業革命以降除く)」という(ある種の層に好かれる)話であって、比較対象は中国でもナウルでもいいんだろうなあ、と思います。(また関係ないんですが、今の中国とヨーロッパみたいに、まじめにインドとヨーロッパを比較を目的にした研究ってあるのかなあ…。日本に住んでるから知らないだけなんかなあ…。)
これは、結局、どこの国でもおんなじで、日本であれば日本のことを説明するのに、外国の事柄を引き合いに出してくるわけです。とくに自国の問題点を指摘するときに使うことが多いと思います。
で、引き合いに出す相手というのは正直、どこの国でもいいんですよね。ただ、できればしっかりイメージがある国の方がいい。たとえば、欧米であれば先進的だなー、とみんな思っているわけで、ストレートに、「フランスでは〜」とか「ドイツでは〜」とか出羽守をやってればいい。しかし、出羽守とかアホなわけで、これをうまく逆手に取ったのが、與那覇先生の『中国化する日本』だったのだと思います。一般に、遅れてる、あるいは汚いとか怪しいとか悪い人いっぱいとかパクリ天国とか思われている「中国」(あんまり間違ってないな…w)を題材に取り上げて、そこを基準に日本を斬ったわけですが、まさにポメランツの翻案(?)なわけで、これを考え付いたのは本当にすごいな、と思います。
(ようするにスリランカとかアゼルバイジャンとか下手すりゃどこにあるかもわからないのでダメ。ナウルだとネタになったことがあるので、ギリギリセーフでしょうか。『ジャマイカ化する日本』とかもイヤです。)

ただ、それでも比較史というのは、結構難しい。まずそもそも比較できるのか、という点。経済ならデータが不ぞろいになってしまうし、社会構造が違えば何をするんでもかなり比較は難しいでしょう。制度概説を二つ並べて終わりです。政治構造にしても、何をどう比較するかというのはものすごく難しいと思います。Rosenthal and Wongにしても、結構細かくしてるけれども、比較としては、うまく行ってる気があんまりしません。よっぽど細かい話(一冊丸ごと官吏登用試験の比較とか)でもない限り、正当な比較はできないように思います。しかし、それだと話がマニアックすぎる。
また、どの言語で比較を行うかも問題になると思います。英語などヨーロッパ言語でやる限り、どう頑張ってもヨーロッパと他地域を比較した場合、ヨーロッパがいかなるものであるかという意識が全面に押し出されてしまいます。あたりまえです、読者の大半は、英語圏の本を読める人、英語圏のインテリなわけです。そこで、ヨーロッパと中国を比較して、逆に中国はこうこうこうです、という話をしても、たぶん本にならないと思うんですよね。そういう話を知りたい人はちゃんと中国について書いてある本を読むでしょう(その本の中で、「我々はこうだけど、向こうはこうだ」みたいな表現が出てくることもあるでしょう。でもそれは比較ではなくて読者に対する親切心だと思います)。だから、比較する場合、英語でやれば西洋は他地域に比較してどうか、となるし、日本語で日本とどこかを比較すれば、日本は他地域に比較してどうか、という話にならざるを得ないし、無理しないでそうすればいいのだろうと思います。某専門誌の特集とかで、いろんな国の事例がただ並んでるだけのことがあって、各論は面白いんだけど、比較としては全然成り立ってないことがありますが、あれだと比較史的にはあんまり面白くない…。(あれは日本史のひとに資するという目的があるんでしょうか)
それはそれでいいんですが、比較された方だって、多くの場合、その本に関心があるわけですよね。で、読むわけです。まあ、大体の場合、あんまりおもしろいことは書いてなかったなあ、で済むわけですが、たま〜に「そんな話してねえべ、なんだそりゃ!」と思ってしまうことがあるわけです(この著者はわかっててほしい、という期待の裏返しです)。でも、そういうのは仕方ないんだとおもいます。だって、関心の赴く先が違うわけですから。
最近(近々20年くらい?)、中国は、経済・政治的なプレゼンスの拡大に伴って、比較の対象になってきました。さまざまな研究分野の蓄積があるので、比較対象にしやすいというのもあるでしょう。しかし、比較する側は一つの作品のなかで、最大でも半分しかそれについて書けない(二地域間比較の場合。比較対象が増えるともっと書くところが減りますよね)。で、しょうがないからパッケージにして提示する。そうすると、どうしても比較される側からすると不満が残るものにならざるを得ません。共著で、それぞれの専門家が書いたとしても、どちらかの国の言語を使えば、その言語に近い国の方が強調されて話が進んでいくと思います(読者のことを考えますから)。もちろん、「その文脈か!」と新たな発見につながる場合もあるでしょうが、残念ながらそういう幸運はそんなに多くないと思います。
つまり、比較された方というのは、いつでも憂鬱になっちゃうわけです。知らない間に当て馬やらされてるわけですからね。本当は、比較される方がここに至るまでには内発的に文脈とか蓄積があったわけなんだけど、比較する側の関心に基づいて話を作らなければいけないわけですから。他人の物語に乗っけられるというのは、結構ストレスフルだと思います。でも、これは比較する側が悪いわけじゃないんです。そういうもんなんだと思います。中国で出ている中日比較本なんて、こういっちゃ悪いですけど、褒められても貶されても、ムズムズします。だって、そこ比べるか〜、みたいな話ばっかですからね。昔、中国で『日本の武士と中国の士大夫を比べて中日近代史の分岐の理由を探る』みたいな話を聞いて、無茶だな〜、と思いました。あたりまえだけど、武士がめちゃめちゃ褒められますが、どうせ「中国の士大夫とかダメ、すごいダメ」っていう結論ありきですからね、これ(というか、「武士」はともかく「士大夫」って何さ?)。別に「武士」とかどうでもいいわけですよ…。
これは、別に日本と中国と西洋ということだけではなくて、専門家がいればどんなところでも起こりうることだと思います。中国だって、唐宋と元明と明清と近代とか話がビミョーにあわないし(北宋南宋でもあわないんじゃないの?)、日本中世史と近世史で喧嘩してるのも見たことがありますから(はた目からは、なんで喧嘩してるのかわかりませんでした。別に中でもやってるか。)。ちょっと前に、物理の人が哲学の人にブチブチいう話があって、メモしましたが、そういうもんだと思います。もちろん、比較する側はちゃんと勉強しるわけで文句を言われれば受けて立ちますよね。で、よくわからん話になる、と。
あと、エライ先生が一般書書いたエライ先生に対して喧嘩うる、というのもありましたね…。(三鬼清一郎「山本博文著『天下人の一級史料』に接して」(『歴史学研究』870、2010))。この三鬼先生の批判したい気持ちもわかりますが、「歴史学本来の、あるべき姿」ときたときには、どうよ、と思いました。「べき論」やったら同じ穴のムジナだなあと。私はタヌキですが、素人のくせにいろいろ書いちゃった今回の件はホントに反省しています。

ここまで、中国関連をどっちかっていうと被害者っぽく書いてきましたが、これがまた微妙。というのも、中国の周辺の国々の歴史、特に関係史を専門にしている方は、なんだか中国史を目の敵にしているような気がするからです。朝鮮・ベトナム・タイ…うーん…(琉球の人はどうおもってるんでしょうか)。満洲とかモンゴルとかトルキスタンとかもそうでしょうか。昔は、なぜいいオッサン・オバチャンが息巻いているんだろう、と思いましたが中国史の人がやる研究には権力性があるのかもしれません(さすがに研究対象の諸地域が、昔中国の王朝に侵略されたりしたからとかではないでしょうが)。これは、東南アジアから見たオランダや、インドや中近東から見たイギリスだったり、中央アジアから見たロシアだったりにも同じような話が転がっているのかもしれません。

その意味で、『中国化する日本』という、日本を説明する話をもとにする限り、著者のところには日本の話しか来ないだろうし、読者のなかで、そのパッケージになってる=すでに確固たる姿が提示されている「中国」ってなんだというところには関心がいかないのだろうな、と思いました。
さて、今回の顛末は梶谷先生が再度トラックバックしてくださいました。なんだか、読んでる方がいるのかと思うと緊張します…。ただ、梶谷先生の以下の部分を見て“ありゃ!”と思いました。
東洋史界隈の人々とその外部にいる人々との間にある暗くて深い川のようなものが浮き彫りになった」
そんな感じのこと(こんな洗練された書き方はできませんが)最後に書こうと思ってたのに!ぐぬぬAA略)。

あと、togetterになってる!すげー…。
那覇先生、コメントつけてくださってありがとうございます!