たぬき丸焼けの顛末(追記)Before and Beyond Divergence: The Politics of Economic Change in China and Europe

さっきの記事の続きです。
問題のJean-Laurent Rosenthal, R. Bin Wong, Before and Beyond Divergence: The Politics of Economic Change in China and Europe, Cambridge, Massachusetts, Harvard University Press, 2011ですが、もちろん大まかな内容は池田信夫さんのブログで紹介されています。(西洋と中国の「大分岐」Voiceからexitへ

池田さんのまとめに文句をつける気はありません。というか池田さんがソリッドにまとめてるからそういうもんかと思って意気込んで読んだら、むしろまったりした本でした。

で、中国の話なんですが、この間の話で、議論になったのは「ヨーロッパでは戦争が続いていたため、高い税のほとんどは軍備に使われたが、中国では税は灌漑などのインフラ整備に使われたので経済が発展した。」というところです。ここに、タヌキが噛みつき、焼かれたわけなんですが。
なお、“伝統中国における経済の発展に寄与するようなインフラ整備ってなんだよ。大体灌漑に明清の政府(少なくとも中央)が金をかけるとか考えられん”というのがタヌキの疑問でした。

池田さんの記事に対し梶谷先生は:
『一言でいえばR-Wには「低徴税、高公共財の中国、高徴税、低公共財の西洋」という図式を強調するあまり、議論をかなり簡略化している点が見受けられます。例えばR-Wのいう公共財の中には政府に雇用された役人を通じた公共サービスがかなりの程度含まれていると思いますが、これは明清期の中国では封建社会のような領域内自治が存在しないため、後者であれば民間の手によって提供されたサービスまでも国家財政に依存していたためです。西洋社会で民間が提供していた公共サービスの規模を考慮に入れない限り両者の公共財供給規模の全体的な比較はできないと考えます。以上のことから、岩井、足立といった日本の研究者の先行研究を踏まえないままR-Wのかなり大胆で単純化された議論を鵜呑みにするのはかなり危険ではないか(それこそウォーラステインの諸説が鵜呑みにされていたことの裏返し)、というのが私の批判の骨子だと理解していただければ幸いです。一連のtweetでは言葉足らずで失礼いたしました。R-Wの議論を広く紹介していただいたことに感謝いたします。』(勝手にツイートつなげました。抜けてたりしないでしょうか…。)
つまり、梶谷先生は、「ヨーロッパだと民間で勝手にやってるものも、中国だと民間がやらないで政府がやってるものもあるので、そのまま税収と公共サービスの比率を比較しても、あんまり意味ないのでは」とおっしゃってるのだと思いました。

じゃあ、実際にその本にはどう書いてあるのよ、と。
で、訳出しようかなと思って、関係するところだけざっと読んだところ、別にそこまでしなくていいや、という結論に至りました。特に事例とかデータ出てないし。
中国のインフラについて(ついでに言えば上の池田さんブログのExitとVoiceに関係する部分なんですが)書いてある部分について、大体何が書いてあるかだけ見てみます。箇所は、186頁から196頁です。

1:統治者からすれば税金はいくらでも高くしたいけど、下々のものは何らかの形で対抗する。下々がとるよくある方法のうち二つがExit(逃げ出す)あるいはVoice(文句を言う)である。
2:で、中国はExitで、ヨーロッパ(西欧)はVoiceである。
3:中国の場合、逃げて行かれると困るので、「税は安く、ちゃんと公共財に金を出す=良き統治」というのが規範として定着した。だから、治水や穀倉政策を行った。(※1)治水には毎年400万両を投入(当時の歳入の10%弱)したし、穀倉政策(※2)もやったし、現場では市場を混乱させないように気を付けて(さえ!)いた。こういうある種の公共財への税収の投下は、統治の正統性を主張するキャンペーンとしての意味合いがあった。
4:ヨーロッパの場合は、細かい国が戦争ばっかしてるので、税をパカパカとって戦費にジャブジャブつぎ込んだ。公共財にお金が出てこないので、民間でそういうのは賄った。だからギルドとか教会とかの非政府組織が発達したし、文句を言うために代議制が発達した。
5:ヨーロッパの代議制と、中国の「良き統治」は統治者の勝手を抑える似たような機能を持っていた。
※1:原文はwater control。どっかにSeacoastとあったので、浙江とか江蘇省が念頭にあるんだと思いますが、具体的には事例をあげてない…?。黄河治水とか大運河は別なのかなあ。
※2:清代には地方政府で穀物を備蓄しておく制度がありました。18世紀初から本格的に整備されます。詳しくは黒田明伸「穀賤から米貴へ」(同『中華帝国の構造と世界経済』)。

という話です(たぶん。英語には自信ないし…。)。ツッコミどころは個人的には、「常平倉かあ〜、しぶい…」などとと思いました。ビンウォンは湖南省の米価変動の論文を書いているので、その辺は詳しいのでしょう。なんだ、ビンウォン、すっごく変なことは書いてなかったじゃない。よかった…。
とまれ、ここでの話は、清朝政府(ちょこちょこ主語がQingになってます。これ、Chinaと一般化するのはわざとなのかなあ)の政策は、変なことをすると下々のものが逃げ出したり、反乱を起こすので、ちゃんと統治者してますというのを主張する意味で、無駄に金のかかる治水や常平倉の整備などをやっていた。キャンペーンの一種である(これ、おもしろいなあ!)。一方、戦争ばっかりやってるヨーロッパは…、というものでした。つまり、中国政府は、みなを納得させるために、特定の公共財〔堤防とか備蓄食料〕を提供したということで、それと経済発展は直接関係ないですねえ(関係ないと思ってはいないでしょうけど、断言は避けているように読めました。ま、発展しちゃうと大分岐論と矛盾するもんなぁ。難しいですね。)。
公共財の話で問題なのは、中国のほうでは、治水と穀倉の話で、西洋のほうでは、ギルドや教会の云々という書き方だったので、おんなじInfrastructureとかprovisionとかpublic goodsといっても、あんまり重ならないというか比較してないみたいな気がします。全体的に緩い比較が続いていました。

この税金と公共財の話は、結論部分でも言及されています。以下のような感じ。
「中国では平和な帝国のもと、繁栄と安定を謳歌した。ヨーロッパは戦争ばかりであった。清朝中国の施策は、スミス的成長の前提は用意したが、産業化を推し進めるようなものではなかった。とまれ重要なのはPolitical structureの相違である。中国では、ヨーロッパに比べて、税は安くて公共財はたくさんある。ただし18世紀までは。そのあとは、中国でも税が高くなるし、公共財も減る。環境が変わったからであろう。ただ環境が変わっても、中心(北京とかブリュッセルとか)と田舎(四川・広東・スペイン・スウェーデン)の関係は特に変わらない。」
あとは池田ブログにもある話なので省略します。

というわけで件の本の公共財関連の部分を読んでの結論。
1:中国(というか清朝の18世紀中頃ピンポイントの議論でした。明とかどうするんですか!)は、政府がインフラ整備したから発展したとは書いてなかった。平和だから繁栄したと書いてあった。うん、特に分析はしてないのね…。
2:公共サービスの内容にはあんまり触れてない感じなので、その辺は実は細かい比較とか最初からする気がなかったんじゃなかろうか。
以上の二点です。そっか、そもそもケチつける相手が存在しなかったのね…。
では、次の記事で今回の件の感想を書いておきたいと思います。

あ、直接関係ないんですが、この池田信夫さんのまとめについて一言。
☆このようにexitによる地域間競争で税率を抑制した中国は、戦争と重税に苦しむヨーロッパよりも豊かだったが、18世紀以降、軍備のために工業の発達したヨーロッパの生産性が向上し、軍事的に世界を支配した。このため西洋の民主制が最高の政治システムだと思われているが、平和なときは中国のような地域間競争のほうが効率的だ。それが20世紀末から中国が急速に成長した一つの原因である。
なんだか、いまEU内部で喧嘩してるのみると含蓄あるなあ、と思います。