これぞ異端
続いてプレジデントファミリーのインタビュー原稿「教養とは何か」についてのゲラリタッチだん。君子の六芸について説明しました。礼、楽、御、射、書、数いずれも「この世ならざるもの」とのかかわりの技法であるというお話。礼は「鬼神に仕える方法」ですから当然です。
— 内田樹 (@levinassien) 2015, 8月 7
楽は「もう聞えない音」と「まだ聞えない音」を聴く能力。御は異類とのコミュニケーション能力。射はもっとも身近な自然である自分の身体の深層をモニターする能力。書は文字、数は数字、いずれも古代においてはそれ自体が魔術的な現実変成力を持つものとみなされた記号を扱う能力です。
— 内田樹 (@levinassien) 2015, 8月 7
現代の学校教育では「君子の六芸」がめざした「外形的に感知できないもの、現実ではないものの切迫を感知し、それに対処し、それと折り合い、それを利用し、心身を豊かなものとする」という能力開発のためのプログラムは存在しません。少なくともそのような言葉遣いで説明される教科は存在しません。
— 内田樹 (@levinassien) 2015, 8月 7
こと学校教育については、孔子の時代と現代を比べると、あきらかに教育プログラムのめざす「理想」は劣化しています。「君子・士大夫を育てる」というような理想を語る教育関係者に僕は会ったことがありません。
— 内田樹 (@levinassien) 2015, 8月 7
…だから日本のサヨクは勝てないんだよ。
どうでもいいんですが、孔子の時代からどれくらい時間がたったんですかね。つか、孔子の時代の「理想」ってそんな簡単にわかるんですかねえ。
それにしても儒教的には「鬼神に事える」方法教えてあげるよとか言ったらアカンのではないのですかねえ。ほら、「怪力乱神を語らず」ですもん。
論語注疏解經卷第十一 先進第十一(漢籍電子文献http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw)
季路問事鬼神子曰未能事人焉能事鬼曰敢問死曰未知生焉知死陳曰鬼神及死事難明語之無益故不荅[疏]季路至知死○正義曰此章明孔子不道無益之語也子路問事鬼神者對則天曰神人曰鬼散則雖人亦曰神故下文獨以鬼荅之子路問承事神其理何如子曰未能事人焉能事鬼者言生人尚未能事之況死者之鬼神安能事之乎曰敢問死者子路又曰敢問人之若死 其事何如曰未知生焉知死者孔子言女尚未知生時之事則安知死後乎皆所以抑止子路也以鬼神及死事難明又語之無益故不荅也