読書:安田峰俊『知中論』

読みました。

特に中国あるいはあえていえば“支那”についてなにも知らない人に薦められる本だと思います。まあ、これだけ柔らかくしてもなお本読めん奴がいると思いますが、そんなんはスルーでいいんじゃないでしょうか、ほんと。星付けるなら4.5っすね。張飛のように暴れるネタのところに明末の「五人」が入ってないところで、星半分減点なだけです(小ネタすぎるんで、知ってて入れてないだけなんでしょうけど)

ただ、やっぱりなんというか、世代なのかな、というのが一個だけ。
中国は昔から中国なんですかね?
この中国的な何かを前提にした語り口が、そして、その中国的な何かを明末清初以降に求める話の進め方が、明清史が流行った世代の学生さんなんだな、ということを強く意識させます。
これは、與那覇潤氏の本読んでも、あるいはちょっと年上ですが、平野聡氏の本でも感じるんですよね。
なんか、そのへんが00年代っぽさを漂わせてるんだけど、次の世代は…、と、ここで大きな問題に気付きました。

著者安田氏よりも若い中国の話を分かりやすく語るライターとかその予備軍、もしかしていないんじゃないすか。

え、だって、彼より若くて中国の話やってるの、JJ大先生とかだよ。(二つしか違わんけど)それより若い人いんの?(いたらすいません)というか、出てくるキッカケなんかある?
だって、とりあえず中国オモシロ話は、安田氏がいる以上、オワコンですよ。彼より、爆笑を誘う語り口も、ネタもそうそうない(もうむかし楽しませていただいたウェブサイト残ってないけど)。こっちで攻めることはできないわけですわ。
じゃあ、昔(80年代まで)みたいに中国歴史小話やっか、といきたくても、もう一般人にネタを受けとるだけの素養はないわけでしょ。大体、中国歴史小話は銀英伝に昇華してその意義を終えてしまったわけでしてね。
ということは、もう、中国ライターはニッチ化するしかない(つか既にしてる)わけで、世代交代はこの後望めないんじゃね、という現状なわけなんですよね。

だいたい、世間はそもそも中国に興味ないわけじゃん?いまはまだ罵ってるだけ(「あの罵られてる中国ってなんだろう」という)ニーズがあるわけだけど、そのうちそれもなくなるわけで。台湾ライターとか、80年代にくらべて激減したわけですよ。ちゃんとしたのだけが残ったといえば聞こえはいいけど、マイナー化しただけやん。だって、むかしは別冊宝島で台湾特集とかあったんだよ。今じゃ、観光案内以外考えられん。・・・いまのひとは別冊宝島自体しらないか。

かくて、室町以来つづいてきた日本のシノワズリもついに終わりを迎えるんかなー、と。その象徴は、やっぱり、本書のテーマである「普通の国としての中国」なのでしょうかね、と感慨を抱いたのでありました。