ノーベル文学賞とるとる詐欺

村上春樹、あんまり好きじゃない、というか、こころ抉られないなあ、と思っているたぬきです、こんにちは。単に非モテだからだろう、と言われたらそれまでですがね。まあ、「村上春樹が〜」とか言われたら、「今すぐ爆発しろ…(怨」と思うわけですから、非モテこじらしてるだけなのは、承知ですけどね。シティリア充なんて滅びてしまえ!(そうすると香港の学生デモが滅びそうな予感がするな、なら滅びていいな。)

ところで、すっご違和感があるんですが、村上春樹って本当にノーベル文学賞を取って当たり前、なんですかね。いや、Haruki Murakamiが国際的に割と評価を受けていることはわかるのですが、日本で、何で毎年このネタをやるのかな、と。なんかの販売促進なのかな、と。

まず、いつから、この村上春樹ノーベル賞待望論があるのか、グーグルトレンドで調べたら、すぐにわかりました。“村上春樹”“ノーベル賞”で引っかかるのは2006年、村上春樹フランツ・カフカ賞を取ったときでした。
で、なんでそのこととノーベル文学賞が関係あるんよ、とおもって受賞者見てたら、2004年と2005年は、受賞者が同じだったんですね。だから、2006年も同じなのでは、というところから始まったようです。(1996年フランツカフカ賞(ドイツ文学限定)受賞者のヘルタ・ミュラーが2009年にノーベル文学賞をもらってるようで)

まあ、そこまではいいとして、それをおおっぴらに言い出したのは誰かいな、と検索してたら、ああやはり、というヒトに突き当たりました。
内田樹氏(具体的にはこれ)でした。

ま、内田センセのブログが震源地になって、村上=ノーベル賞言説が広がっていったわけではないみたいですけど。そもそも産経かなんかの執筆依頼があったんで、そういう競馬みたいなこと(○○買った後は××も勝つ!、みたいな)がわりと言われてたみたいですね。その後も、たまに、ノミネートされて云々とか書いてありますが、そんな制度ありませんよね、勝手に言ってるだけではないですか。

というわけなんで、やっぱりどっかの段階でこのネタを嗅ぎつけた出版社側がなんかいろいろと運動して、毎年の村上春樹ノーベル賞とるとる騒動になって、へんな信者をニュースで見せられることになっているわけですね。あの映像、作者のイメージにプラスな気があんまりしないんですけど。

あと、もう一個、今年話題の日本国憲法9条云々に平和賞が〜、ってやつですが、これもべつにノミネートされて、とかいうわけでもないんすね。どっから出てきたんだ、あれ…。それよりも、むしろ「9条がノーベル文学賞を受賞したら面白い」みたいな話の方が重要な気がしてきました。

いやまじ、9条をネタに日本のリベラルの心情、青春、没落を大河ドラマっぽく文学で書き上げたらもらえるんじゃないの、ノーベル文学賞

というのも、文学賞とった人って、一部を除いて割と政治的にイケイケというか有名な発言をしてる人が多い(大江健三郎とか)ので、そういうのがないとダメなんではないか、ということです(これ、もうどっかに書いてあったな、くそう)。そう思うとカタルーニャで壁と卵だけではちょっとたりないよな。ま、そんな派手な発言しちゃうと読者が引きそうなので、村上春樹さんも、そこまではせんでしょう。ご本人が欲しいかどうかはわからんし、取ったから何よ、という気もしますしね。

でもちょっと村上春樹が80年代以降のリベラルの心情を描いた骨太なやつを書いてもらったら面白い気もします。出会いはどこだろうか、やっぱりデモか。デモに参加してる女の子と、あんなことやこんなことをするのか。いや、うまくいけばあれだよ、クンデラ的なところに行けそうなきがするぞ!?

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

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存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

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