それはぶっちゃけすぎでは

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某首都の国立大学の先生がぶっちゃけていました。

日本の報道もぜひ参考にしてほしい書き方です。

単に「信仰篤い庶民がエルドアンを支持している」というのが日本語でありがちな報道です。「庶民の声」というのも単に漫然と庶民っぽい人に話を聞いたというものにしかならない。取材する地区選びでも、単に「見た感じが庶民っぽい」ところに行くだけでは、大人の取材ではないのです。

重要なのは、トルコにおける「エルドアンを支持する庶民」とはどのような社会学的、政治経済的、歴史的条件によって作られた存在なのか、ということです。この辺りを、概念的な骨組みで記事にメリハリをつけられるかどうかで、欧米のジャーナリスト(多くは大学院修士課程ぐらいをキャリアの途中で出ている)と、日本の記者(大部分が学部卒で、失礼ながら印象では、元気が良いもののあんまり成績が良くない人が行く=東大の場合。入社したらひたすらオン・ザ・ジョブ・トレーニングでべたっとした取材法を学ばされ、二度と大学で概念操作を鍛えられることがない)とでは、大きく差が出ます(概念的に書くとデスクが通してくれない、といった社内事情の言い訳・泣き言を聞く必要はありません。日本は読者のレベルが低いから?馬鹿にしないでください)。

まあねえ、読者をバカにしてんのか、みたいのはたびたび拝見しますがね。それに振り仮名つけんのか、みたいな。

しかしですね、日本の新聞の読者は、やっぱりレベル低いと思いますよ。地上波よりはマシでしょうけどね。「わかりやすい」を掲げてるメディアに、なにか期待しても仕方がない気がします。民度にあったものが流通してるんだと思いますし、こういっちゃなんですけど、首都のあそこや京都のあそこでたからって、バカはいっぱいいるじゃないですか。(出来がいいのももちろん沢山います)

それとも具体的に教え子がいらっしゃって、腹に据えかねるところがあったりするんでしょうか…。人生諦めが肝心だと愚考しますが。ダメな人はやっぱり永遠にダメなのです。

つか、フィナンシャル・タイムズと日本の新聞を比べたらダメだろ。日大とハーバードを比べて、アメリカすごいとかいうのといっしょで意味ないがな…。しかも、ハーバードも割と一定程度のアホがいるとじゃないっすか。

まあ、この手の「我が国の××は…(嘆息)」は、インテリの基本、ということで。もちろん、これがなくなったらもうこの国は終わりなので、何とか頑張ってほしいとも思わなくはないのですが…。