読書:『「反日」中国の文明史』

掲示板にて話題の本書、キビシメの書評を受けて以来、界隈の若い衆のあいだでは、ご研究の中心的なところがあまりちゃんと評価されなくなっている感のある著者による一般向け書物です。特に“中国的ななにか”に焦点を当てたもので、そこに昨今の中華人民共和国のいわゆる海洋進出というやつに対する義憤を加えたものといえるでしょうか。
内容はぜひお買い求めの上、ご確認いただきたいところです。八四〇円くらいケチらんで買え、買ってから文句言えと言いたい。
いちおう内容をざっくり申しますと、中国の現在のナショナリズムというか対外拡大の意識は、中国文明的なものと日本から近代に持ち込まれたものである(だからやってることはおもっきし帝国主義やん)、という話になります。なるほど。前者はともかく後者はその通りですよね。個狸的には中国には変わらざる何とかが〜みたいなのはダメなので、前者の中国文明として説明されるモノに関しては、割と受け入れがたい感じですが、ま、その辺は趣味の問題なので仕方ありません。

というわけなので、岡本隆司『「反日」の源流』よりも、すこし「反日」成分は多い気がしますが、本論は中国文明論です。『「反日」の源流』は社会経済構造の比較だったので、それに比べると構造的な要素についてはあまり議論してないんですね。まあ、差異化も必要でしょうし、政治学的には当たり前ですよね。ちょっと日本成分が強調されすぎかな、もとは市民講座でお話になった内容だからなのでしょうが、日本が特別扱いされすぎ、という気もしますが、それは趣味の問題でもあるのでいいでしょう。ゼニの話(銅銭の話ではありません、念のため)がほとんどないのも、著者の関心と、近現代中国の思想家全体としてゼニの話が少な目というのがあるので、しゃあないですよね。そういえば梁啓超の経済論とかあるのかなあ。まあいいや。

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)

で、まあその中国文明論なんですが、読みながら思い出したのが、猪口孝『交渉・同盟・戦争:東アジアの国際政治』なんですね(歳がバレる)。さて、これは時代のなせる業か、それともアジア政治外交史的なものなのか。坂野正高先生は絶対正義なので、それとはまた違う感じがしましたが。


ともかく、著者が以前出された『清帝国チベット問題』で提示されていた、清末以降の「中国」による「チベット政策」に関しては、やはりすごいなあ、と思いました。清末〜中華民国〜現在の核心利益のもとに魏源『聖武記』が提示したような乾隆帝が成立せしめた「神聖にして不可分な版図」があるということや、Chinaの領域が、むしろ欧米列強との交渉の中で外側から規定されることで定まっていくこと、清朝が中国になることで、藩部政策が五族協和になることで生まれるひずみに関しては、納得するところです。納得するところですよね。ね?
著者の平野先生のUnfortunateなところは、以前の御著書の書評が前近代の、しかも乾隆以前の清朝史あるいはチベット史の専門の方が担当したことにあるような気がします。ほんとうは、清末政治史をやってる人が担当すべきだったんでしょうなあ。表題がズレを生んだんでしょうか。
というわけなので、ちゃんとコアを読んでちゃんと批評する(清露関係とかやってる)専門家カモン、という感じなのですが。

清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解

清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解

本書を読んでいくと、いろいろ考えさせるものがありますが、一番は、“え、それ本気(マジ)扱いして大丈夫なの?”という点です。建前と本音がごっちゃというか。いや、これは、その昔、フィリップ・A・キューン『中国近世の霊魂泥棒』を読んだときにも感じたんですが、政治学的政治史ではそういうものなのでしょうか。ま、分野問題とは別に、著者は大変にまじめな方なのだろうな、というのはそこかしこに感じます。目の前に出てきたものに真剣に取り組む、というか。それ自体は悪いことではないと思いますし、意義はある。効率的かどうかはともかく。

中国近世の霊魂泥棒

中国近世の霊魂泥棒

あと、細かいところで“…?”と思うところがあるのですね。これ、同じ香りが割と売れた若手日本近代思想史の人の日中文明比較論でもあったんですけど、一般向けの時はわかりやすく文脈にあわせて改変するべき、というのはアリなんでしょうか。そこは納得いかない気もするので、気が付いたところだけ列挙します。ともかく以下は、単なる揚げ足取りですから。これをそのまま鵜呑みにせずに、現物をご覧になっていただきたい、と切に思います。本当に思っています。もし、今回のエントリをもとに、「だから本書はダメ」的なことを書いているやつはアホ認定したいところです(まあ、そんなにこのダラダラかいたエントリを読む人もいないでしょうが)(検索で引っかかってきた語のまわりだけ読まれたりはするんかな)。

47-48ページ:朝貢冊封関係について、最初から華と夷の関係だったみたいな感じで書かれていますが、西嶋定生あたりだと、もともとは国内の王と諸封建勢力のあいだの関係を外部に延長したもので、むしろ内外を区別しない王化思想の表れみたいな説明だったと思うのですよね。なんだか、古代から話を始めているのに、明清にぶっ飛んでる気がするので、なんか変だなあ、と。ま、これは本書の問題ではなくて、そういう書き方してる近代史の本がたくさんあるというか、近現代のひとにとっては前の時代は全部古代なんでしょうな。あと「属国自主」が朝貢冊封関係の一般的な状態とされているように書かれています。まあ、そうではないとはいいがたいのですが、参考文献にひかれている岡本隆司『属国と自主のあいだ』では、朝鮮関係という特殊な文脈から取り出された用語だった気がするので、そのまま「歴史用語」としちゃうとどうかなー、と感じます。「互市」と同じっすね。

古代東アジア世界と日本 (岩波現代文庫)

古代東アジア世界と日本 (岩波現代文庫)

属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運―

属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運―

50ページ:現代中国でのディズニーランドやガンダムなどのパクリ商品を問題だと感じないのは、「中国文明の拡大力学」と関連すると書かれているのですが、パクリはダメよという話は、西欧に特殊な著作権概念と、そこから派生したここ30年くらいの日本のオリジナリティ概念によるもので、別に中国に特有なものでもなんでもないと思います。つか、半世紀前の日本を思い返せば、ねえ。

58-59ページ:朱子学原理主義的な要素があるのでほかの文化・思想との共存は難しいとありますが、(朱熹のパーソナリティはともかく)原理主義的要素は本来的に他の思想よりも特に強烈にあるわけではない(ないわけではないですよ)とおもうので、うーん、と首をかしげざるを得ません。
くわえてここでは、岳飛を称揚して秦檜に唾吐く行為は、原理主義朱子学に基づく行為であり、それは現今の「中華民族」観念では金朝は外国ではなく、女真族を悪役扱いするようなのでは不味いので岳飛廟での秦檜夫妻像への唾吐きは禁止と書かれています。そうなのかな、あれは唾吐きが文明的でないとかいう話だった気が…、岳飛はやっぱり民族英雄のままだと思います。宋金対立という具体的な文脈ではなくて、漢奸と愛国者という話になってるはずだし、ふつーの漢族は中華民族なんてそんなに真面目に考えていない(考えてりゃチベットでもウイグルでもあんなことにならんでしょう)はずなので、この説明にはなんか違和感が残ります。

60-61ページ:明朝崩壊の原因について、朝貢による下賜品が多すぎて財政を逼迫とか、朱子学陽明学による「党争」とあって、頭の上にポンと疑問符がでました。下賜品は永楽帝がなくなった後は減らされていたように思いますし、いわゆる党争と言われて思い出される、閹党(宦官)と東林党(官僚)のあらそいであるならば、陽明学朱子学も関係なく後者に就いていたはずだし、学派で政治対立を起こすことは、さすがの明代といえどもなかった(あってもショボイ)のではないでしょうか。朝鮮王朝ではあるまいし。なんで朱子学嫌われてるんやろうなあ。『近世日本社会と宋学』よんでると、朱子学、いい趣味ジャン、となる気が、しませんか、そうですか。
その直後に秀吉の朝鮮侵略への対抗とかヌルハチとの戦争とかで戦費がかさんで、と書いてあるので、それだけでいい気がするんですけど…。

78ページ:ウェストファリア条約で近代的な国際法が成立して〜云々という話は、もう結構批判されてるんではなかったですか。まあ、これは本書に限った問題ではないと思いますが。周縁他分野の吸収は難しいですなあ(チラッ>国史

80ページ:血縁・地縁・同業者などのネットワークを利用して生き残るのは中国文明的とあるのですが、これって18世紀に人口が増え、流動性が増したあとに一般的になる生き残りの戦略だったのではないでしょうか。

81ページ:また中国文明は「他者から積極的に学ぶ」姿勢に欠ける、創意工夫を軽視するとあるのですが、それは、アジア近代に一般的な西洋中心主義的な他者批判ではないですか。それは、(ほとんど本気だったとは思いますが)魏源あたりから現れる洋務派や日本の近代主義者が、敵対勢力を、守旧と罵るときの文法なのであり、今の我々がいうのはフェアではない、というか、そんな簡単にできるか、と思います。そもそも西洋人、他者から全然学んでないし。なんでこっちだけ毛唐に学ばなあかんねん。だいたい17世紀のヨーロッパに天文関連以外に何か学ぶものあるの?敵対宗派はジェノサイドしちゃうぞ★とか?学ぶものができたとすれば19世紀後半で、そんなにタイムラグなしに受け入れを開始してる気がしますけど。向こうも売り込んできてるし。動きだしは日本の方が早い、とは思いますがね、もちろん。早い遅いでいえばオスマン帝国はもっと早いんだけど、あの状態なのはどうするんでしょうか。もっともっと早ければロシアになれた、というのでしょうか。いや、これも本書だけの問題ではありませんね。

87ページ:日本は足利義満をのぞいて朝貢に消極的、とありますが、朝鮮・琉球・安南な経済的にも政治的にも必要があるから、その時どきに応じて朝貢していたのであって、別に積極・消極を選べたわけではないと思うのですがねえ…。

94ページ:「朝鮮が清に朝貢した歴史に限っていえば、有無を言わせない強制であり、まれな事例」とありますが、唐・金・元・明・清は全部朝鮮半島の王朝に対して、ほぼ強制的に朝貢なり服属なりさせてるんじゃないでしょうか。漢はともかく、宋は直接境域を接することはなかったし…。遼も朝鮮半島に侵入したんじゃなかったっけ?朝鮮半島はつくづく大変な地域ですね…。

122ページ:これは純粋に知らないのですが、『阿Q正伝』のQが“丘”すなわち阿Qとは孔丘(孔子)であるというのは、中国文学界隈ではわりとよく言われることなのでしょうか。原文には、阿Queiと呼ばれるが、普通は“貴”や“桂”だけど決め手に欠けるからQのままで云々と書かれています。この二文字はピンインだとGui、ウェード式だとKuiで、ピンインで丘にあたるQiu(Qiou)は、当時のウェード式だとch'iou(アポストロフィ入れないんだっけ?)で、Qを使うのは戦後な気がするんですよね。ま、「魯迅の主張にそくして」という著者の解釈は、よくわかるのですが、気になっているのですよね、この辺の感覚。わざわざQだけにしてるあたりは、そうなのかなー、と思わなくもありませんが、英語のキュー/kjuːとかフランス語のキュ/ky(ドイツ語はクー/kuː/, /kveːだからかんけいなさそう)とかが現代ピンインのQiuにどれくらい近いのは正直よくわかりません。“ちゃちちゅちぇちょ”の無声歯茎硬口蓋破擦音と欧米言語でのQの発音のあいだには飛躍がある気がするんだけどな。魯迅、日本留学組だし、よくわかりません。

第五章など:社会主義共産主義の説明がなされていて、わりと普通のもののように思いますが、そんなものなのでしょうか。なんだかその昔に読んだことのある話のように感じましたが、今でもこういう説明でいいのかしら…。
後半の近現代中国に関しては、まあ、そんなものか、でも日本が重視されすぎじゃない?ドイツとかどうなの?と思わなくもありませんが、日本で出てる一般向け書物なので、まあいいか、と。尖閣やらのあたりの話は、ここ数年いろいろ見てきて、もう戦後の顛末も含めて歴史の話はもういいやん感がありますが、そうでない人にとっては意味があるかもしれません。もっと井上清については詳細に書いてもいいんじゃないの、とは思いますw
最後のほうでの、怒り爆発、マイルドな満江紅みたいなのは、まあ、わからんこともないのでいいです。それはそれでいいのではないでしょうか。むしろ、こういうのがあった方が、タイトルとあってていい気がします。最近の若者は中国への関心がなくてね、というのよりはなんというか陽明学的な意味で赤心な感じがしますので(ほめてるのか微妙になる表現だな…)。

で、まあ、総じて、本題とは別のところで余計やな、と思わなくはないところもあったものの、アマゾンでポチった甲斐はあったな、おもしろかった、と感慨深く、あとがきまで読み進め、本当にまじめでまっすぐ方だなあ、などと思いつつ、参考文献を眺めておりまして、日本関連は渡辺浩だけかあ、岩波新書の「シリーズ中国近現代史」が一巻しか入ってないのね、などと思っておりましたら、驚愕の文字列が。

“『おどろきの中国』”

 まじすか。三度見しましたよ。

むかしからよくわからないでいるのですが、一般書の巻末の参考文献というのは、“よかれあしかれ参照しました”なのでしょうか、“いろいろ含めて読書案内的なもの”なのでしょうか。後者ならいいんですけど、前者だとすると、どこでどう参照したのかな〜、と思わざるを得ません。それとも私がいつもどおりぼんやりしていて批判的に取り上げた部分を見落としたのでしょうか(だといいのですが)。だって、著者はプロの中国屋であり、くだんの書籍の著者はみなさんシロートさんですよね?エンタメ的にはいいんですが、専門家による啓蒙書で参照するものか?いや、こういう区分はいけないのかもしれないけれど…。うむむむ…。なにか意図があるのか…?最後の最後で、どうしたらいいのか、考え込んでしまいました。