文弱の国

おおやにき
武力と日常(1)(2)(3)(4)を読みました。
ふむふむ、と面白く読みました。しかし、武力とか暴力といっても、実際に組織化して戦争やるのと、その辺のオッサンが暴れるのをどうするのか、というのはちょっと位相が違う気もするんですけどね…。まあでも「圧倒的な実力を構築することによって市民の抵抗をとりあえず抑止し、分散した暴力を漸減させていく」ってのは、腑に落ちるというか。尺度はちょっと違うんだけど、その形で儀礼化がうまくいくと『東アジアの王権と思想』に出る御公儀になるんかな、とちょっと思い出しました。
(4)の「自由」の定義の話は、なるほどなー、と読みました。で、(3)の本論と関係ない、割合どうでもよいところで引っかかったのでメモしておきます。

しかしその認識を踏まえた上で前回までに述べたような武力観に立つと、本郷氏が「朝鮮半島では文臣が常に武臣よりも上位にあった。中国史を見ても、文の力は伝統的に強い」[1,138]と書かれるのに対してだからダメだったんじゃない? と言いたい気分にはなる。つまりどちらも欧米との遭遇以降の自律的近代化には失敗したと言っていいだろうが、その理由として武力の適切な位置付けを通じた組織化と統制ができなかったからというのは大きかろうと思うわけである。
中国社会では「良い鉄は釘にならない」と言われ、まともな人間は武力にならないと位置付けられてきたとされる。人材選抜のための科挙においても武科が周縁化され、冷遇されていたことが知られている。内乱や欧米勢力の侵略に対してこれらの公的な武力はまったく役に立たず、一部官僚が組織した私兵が活躍することになったが、それは当然ながら私兵であって公的な統制に服さず、やがて軍閥化して統治自体を崩壊させていくことになる。武力を「悪しきもの」「劣るもの」として公的な世界から排除したことにより、結局は「文」自体が滅びることになったということにはならないだろうか。

よく日本史の東アジア比較論みたいなので出てきますけどね、朝鮮はよくわからんけど、中国って、そんなに「文」の比重が強いかなあ?文人のほうが儲かるのは否定しないですけど、「武力を「悪しきもの」「劣るもの」として公的な世界から排除した」というのは、割合根拠ない、理想の「中華」のような気もします。むしろ清朝って、「俺ら、地上最強♪」くらい思ってたんじゃないのかしら。武官の立場、悪くないし。明だってそうでしょ。「おまえら生意気言ってっと膺懲すっぞ」的な。そんでベトナム攻めてみたり。結局、明清どっちもちょいちょい失敗してるわけですが。昨今の共和国の海側でやってる動きだってそうですよね。むっかしから民間の武装解除だって完全にはできてないし。すごい荒っぽいんだけど、暴力を各個人が自分のカードとしてちゃんと管理してる気がするんですけどね。武力を称揚する言説なんていくらでもありますよねえ。むしろ、「文明の力で〜」みたいなの(建前でなくて)マジで言ってるのは、実際の事例を見たことがない気がする。むしろ、日本ではそういう形で「文弱の中華」というイメージがあることのほうが興味深い。誰だ、このイメージ作ったヤツ。なんつうか、これも非常に45年以前的なイメージですよなあ。サムライジャパン質実剛健、それに引き替え支那は、的な。裏返すと粗暴な日本・文明の中華、と。

あと、「欧米との遭遇以降の自律的近代化には失敗」ってのも結果論だと思うんですけどね。清朝は近代化に失敗したのかなあ?インドネシアとかよりはるかにマシな気がしますけど…。まあ、中国内陸の農村は悲惨なわけですが、悲惨なのは1000年くらいずっと悲惨なわけですし(日本の農村だって明治になってからの方が悲惨でしょ)、むしろ太平天国戦争以降は、割合沿海経済的には何とかならんこともない感じだったと思うんですけどね。20世紀初頭の紹興ナポリの近郊の農村比べて、どっちがマシか微妙ですよね。でも、これも清仏戦争で負けたことにされ、日清戦争で負けて、義和団で(ノ∀`)アチャー、みたいなのからの類推で清朝アカン的な扱いになるわけで。まあ、アカンとこはアカンとは思いますし、日本ほどグイッとは行かなかったにせよ、経済発展の芽は十分にあったんだと思うんですけどねぇ。清末民初の上海なしで当時の世界経済が成り立ってたとは思えんし。むしろ最近の研究では、日中戦争中国経済大打撃、という議論も多い気がするんで、まあ、相変わらず普通の日本語話者のなかでは中国なんて幻想の中のシロモノなんですな、ということを再確認した次第。外国なんてみんなそうか。いや、日本ですらそうだよな。だから、いろいろ議論が巻き起こるわけで、それが面白いんですよね。