選択肢の減少を受容できる?

複数貨幣といえば、やっぱり黒田明伸先生ですよねー。それにしても、こういうオカネの話を見てるとわくわくするなあ。トゥゲッターにまとめられてるツイートに引用されてる話もめっちゃ面白いですよね。ネットはこれがタダで見れるんだからいいなあ。しかし、知恵熱が出そうであります…。

冒頭のトゥゲッター見てて思ったのは、今の経済で、対外収支とリンクさせない(させたらどう考えても無理)形で地域通貨を受け入れさせるには、それなりのプレミアムを付けるか、現行通貨がどうみても足らん状態にならんとアカンのやろうなぁ、ということであります。

そもそも伝統中国で複数貨幣が地域別どころか品目別でもバラバラに存在し、そこそこ安定していたのは、貨幣がそれしかなかったからだと記憶しています。
明末に一旦は、アホみたいに流れ込んできた銀を使って交易をおこなうようになっていたわけですが、それが遷界令でいったんストップして、デフレになったのが清初なわけですよね。で、その間に、いろんなところでいろんなものを交換するために、多様な貨幣が利用されるようになっていた。それは、ぶっちゃけ不便(ホントは米穀取引の話とか絡む)なので、乾隆年間に銅銭が鋳造されるとみんな飛びついて、ガンガン供給されるのに、需要が上回って銅銭価格が跳ね上がるという奇妙なことになったんだと思います。で、銅銭価格の上昇は、銅銭が結局足りなかったことを示しています。また中国には18世紀を通じて外国からの銀が流れ込んでいたとされるわけですが、その銀にしても、この複数貨幣性を押し流すほどの量が流れ込んでいたわけではなかったんでしょうかね。

で、うわさの名著、黒田明伸『貨幣システムの世界史』180-181頁にあるように、国際金本位制が成立した1900年前後から世界で共時的に紙製通貨の受領が始まるわけですよ。ここのところの説明は、ほんとにうなっちゃうね。(併せて読みたい っ書評

このように東は中国から西はアルゼンチンまで、原料作物輸出の増大にともなってそれらの買い付けのために通貨不足が生じ、通貨供給が増大させられるという現象が二十世紀初期に共時的に現れたのである。供給の在り方に差異が認められるが、大量の供給を通じて、伝統的に農産物流通を支えてきた在来の現地通貨が変容させられて、紙幣流通が浸透を始めたという点では共通している。(188頁)

ともあれ、小農生産物の輸出吸引を通じて、その逆方向への紙幣の浸透、そして事実上のデノミにともなう伝統的現地通貨の退場が、世界同時的に進行していく。この過程で一国一通貨制度は急激に市民権を獲得することになり、自律的な支払共同体を事実上無国籍の貿易銀は結ぶなどという志向は急速にかすんでいく。(189頁)

ところがこんな感じで「信用連鎖が延びきってしまっていた」状態だと、どっかで恐慌が起こると、世界中に連鎖しちゃうわけで、それが20世紀初頭の大恐慌だった、と。

で、ある種一回「信用連鎖が延びきった」ユーロ圏内で、地域通貨流通は可能か?ということになるんですが、上の黒田理論を見てると、貨幣としてのユーロが末端の取引に支障が出るレベルまで減らないと地域通貨が積極的に受容されることはなさそうだなあ、という感じがします。
その逆に、ユーロなど不要、というレベルのプレミアムや納税システムみたいのを付ければうまくいくのかもしれませんが、今の南欧諸国にそんな余裕はないでしょうしねえ…。
というか、南欧の犠牲を踏み台にしてはいるけどユーロ全体としてはそれなりにうまくいってんじゃないの?という気がするんですけどね。ニュース見てるだけだと、ここんところがよくわからん…。


ともかく、ある貨幣が利用できる空間が広がることって、やっぱり便利だと思うんですよね。選択肢が広がるわけだから。だから紙製通貨が広がるわけですよ。金属としての意味合いなんかよりも、通貨は使えるから使われるわけで。でも地域通貨って、買える場所とかものが制限されちゃうわけですから、たとえば自分としては買えるコメの量が三倍になるから地域通貨で給料受け取れと言われても、いやですけどね…。ジャガイモ食うがな。地域通貨ナポリからアマゾンUKに注文はできなくなるわけでしょ。やだよ。というわけなんで、よほど強制力やシカケがないと無理でしょうし、ふつーにユーロの対地域通貨価格が上がっちゃうだけなような。

というわけで、以上の話は、実際に使う気になるのか、というものでした。これで、地域通貨建ての債務の話まで出てくるとシロウトにはようわからんのですが。

18世紀の中国で複数貨幣がうまくいった(というか、複数貨幣にならざるを得なかった)裏には、第一に、やっぱり中央政府に渡すべき税額が、経済全体に比べてエラク小さいことがあったんじゃないのでしょうか。末端の担税者は、地域通貨というかなんかいろいろ集めてくれば胥吏とか請負業者とかが、まとめて払ってくれてたわけでしょ。もし、それなりの税額を中央政府が決めた形式で支払わないといけないとすると、もっと貨幣制度が統一する方向になったか、貨幣量が少ないわりに税額が高すぎる!と反乱がおこるかのどっちかになった気がするので、それはできんかったんやろうなぁ、と思うのであります。
第二に、清代の場合は地域別だけじゃなくて、品目別に貨幣(というか単位)がちょっとづつ違うので、それも取引の安定につながってたんじゃないでしょうか。貨幣の市場での流通量にすら季節性があったわけで、できるだけ細分化しないとオチオチ取引もできやしないわけで。それを解決するのが、品目別の貨幣単位設定にならざるを得ないし、そうすると安定的に取引が進む、ということになるんでしょうなあ。で、しかもその貨幣単位も実は帳簿上にしか存在しなかったりするわけで、そうすると、実際の決済に使う実物の通貨はもっと少なくて済む、と。うーむ、よくできてんな。
で、第三に、そもそもそれなりの規模の信用市場がない、ということがあると思います。

こんな感じの清代の場合は、そもそも一般生活においてすら貨幣が足らん、交換手段がない、困ったぞ、というところから話が始まってるわけで、曲がりなりにも普通の人々の生活にまで浸透しちゃった(しかもそれなりに発行され続けている)ユーロと並列できるだけの地域通貨とかを作るのは難しそうだなー…、とシロウト的に思うわけです。用途を限ればいろいろできそうですけどね。それってクーポン制?

今は何をするにも同じ貨幣でやることになっちゃってるので、かなり極端な状態にならないと複数貨幣にするのは難しそうな気がしますね。上にあげた梶谷先生の書評にも言われてるように、黒田先生が上げる現代的な貨幣の非対称性の事例って、たんなる手数料の上乗せのような…、なんかずれてる気がするんですよね……。

もし帳簿上の取引が存在しないのであれば、おんなじユーロでも、フランスとかドイツで発行されたものだけが選好されたりするんでしょうけど、そうはなってないのは、貨幣システムに関する技術的な前提が前近代と大きく異なるからなんでしょうかねぇ…。

貨幣システムの世界史―「非対称性」をよむ (世界歴史選書)

貨幣システムの世界史―「非対称性」をよむ (世界歴史選書)

中華帝国の構造と世界経済

中華帝国の構造と世界経済