まぜるな危険/まぜると簡単

割と目にする、「公」と「私」の区分とその混乱に関してメモ。

日本で問題になるのは、「公」・「私」といったときに、少なくとも三つの意味合いが含まれているから。これがまた全部似てるから困る。

1:西洋起源の「公」と「私」
 「公共圏」⇔「私領域」
 権限・権利・分担の問題。なにを皆でやるか、個人でやるか。
 もとは、権力への批判
  →「公共圏」と「私領域」にいいも悪いもない
   ※わがまま批判は別の言葉
   ※あんまり拡大縮小しない概念

2:漢語起源の「公」と「私」
 「公gong」と「私si」
 道徳の問題。自分勝手=「私si」であると、それよりも大きな範囲=「公gong」に迷惑をかける。  
  →「公gong」はよい、「私si」はダメ
   ※わがまま批判の言葉
   ※相対的なので、拡大縮小が可能

3:現代日本の「公」と「私」
 「公:おおやけ」=官と「私:わたくし」=民
 官民の分担の問題であり、個人へのわがまま批判でもある。
  →明治以前は「公:おおやけ」は官のみをさす?
   明治以降、漢語的な「私si」が流入か?
   戦後、西洋的な「私領域」が流入か?
   ※混ざりすぎてよくわからん。融通無碍とはこのことか。

結局、今の日本語で「公」と「私」の話をすると、いろいろごっちゃになるので、大変だよね、という話です。みんな概念が違うんだけど、まあ、自分に都合のいい論理を使うのは世の常ですよね。

複数の概念体系があるのを、一緒にするとこうなるわけですが、だからと言って、いちいちAとA’は違うのよ、というのはめんどくさすぎるので、まあ、似たようなもんでごまかしといたほうがいいんでしょう。専門家は区別すべきでしょうけど、普通に生きてる分には、まあだいたいでいいかな、って感じですよね。

あと、よく思うんだけど、「中国人」なら必ず漢語起源の概念を持ってるわけじゃないし、「西洋人」なら西洋起源の概念で生きてるわけでもないですよね。ただ、その言語でそういう方向の議論の蓄積と、利用の方向があるだけなわけで。法体系とか個別の立法の意図とかを見てると、そういうのは議論できるんでしょうけど。

中国・日本・韓国(ベトナムも?)は、漢字で、西洋起源の概念を翻訳して使ってもいるからホントわけわかりませんなあ。しかも、途中で幕末明治の日本語(現代日本語とちょっと違う…)が絡んでるので、もう大混乱ですよ。みんな、自分こそが正しく理解してると思ってるし。これは「アジア的」というよりも、「漢字使ってヨーロッパ語翻訳した国の悩み」なんでしょうね。

ここで疑問なのは、たとえばインドなんかは、こういうのが問題になったりしないのか、と。インドとかアフリカとか東南アジアとかだと、英語とか欧米言語の世界と、現地語の世界が分離してたりするのかな。そうすると、あまりこういうのが問題になったりしませんよね。中近東や中央アジアもどうなんでしょうかね。結局は、経済的な発言力次第なんでしょうけどね。

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」

伝統中国商業秩序の崩壊―不平等条約体制と「英語を話す中国人」