情報の量と質は比例しない不思議

というわけで、デムーロ最敬礼に関して、ツイッターで検索したところ、ちょっと面白かったのでメモ。

基本的にツイッターつうのは、自分の個人的な思いを書き込むものなんだそうですが、日本に限らず、多くのところで、ニュースサイトへのリンクを張った上で、感想を書き込むツールとなっているように思います。
というわけで、実は、自前の情報の比重はあまり多くなくて、ニュースサイトの下のほうにあるコメント欄みたいな性格も持ってるんですよね。

まあ、それで、「デムーロ」でツイッター検索したら、まあ出るわ出るわ。リツイは別にしても、おんなじ話の繰り返し。
そして、みんな勝手に想像と自分の常識で語るという。たまに、ヴィクトワールピサが〜、とか松永幹が〜、JRAの職員が〜、フジテレビが〜、となんかをdisったりしてるわけです。

いやまあ、なんだっておんなじなんですけどね。
右に倣えとか空気を重視とかではないな。たぶん、どこでもいっしょというか、持ってる情報量からだとこれくらいが限界、といったところなのでしょう。

まあ、いうのは勝手なんで、ガンガンいえばいいし、別におんなじでも構わないわけですがね。しかし、たくさんツイートがあるからと言って、別に情報の質は上がらないということがしみじみとわかるのでありました。

しかし、こういうのを見ていて本当に不思議なのは、見えざる神の手じゃないですけど、市場の反応とか、オッズ(支持率)とか、マスで長期的にみると、集団としては判断が正確なのに、個別の意見は空振りというかバカというか、どう見ても不正解みたいなのばっかりだということです。もちろん、今回の天皇賞だって、カレンブラックヒルが人気になりすぎ(勝つ目がなかったとは思いませんが、3番人気くらいが妥当じゃないの?)だったりとか、短期的にはマスの判断は謝るんですけど、長期的には勝率と支持率がだいたい一致するという。

この辺が人間が生き残ってきた理由なんですかね。


ところで、これまたどうでもいい話ですが、ツイッターで、「『陛下の前で不正があるはずもない、よって不問にいたしました』と発表したJRAぐっじょぶ」みたいなのがツイートされまくってるけど、入線後・後検量前の下馬に関してJRAは審議したけど制裁しなかった、という以下のツイートがあるだけだよね。審議の担当者間でこういう結論がでたとしてもおかしくないけど、実際、こんなこと公式発表するわけないだろうし(してたらすいません…)。

なぜ「JRAの発表」ということになったのだろうか…。(たぶんめっちゃリツイされてるもとツイートが書いちゃったからだと思いますが、それはまあいいや。というのも、おそらくもともとのツイートをしたアカウントの方は、エイシンフラッシュ愛があふれ出しすぎて、かなり好感がもてるのでした。ダービー馬はやっぱり偉大やねえ…。)

しかし構図はこないだのカツカレー騒動と一緒やん。まあどうせFBとかでもおんなじなんだろうから、やっぱSNSはエンタメ以上には使えなくて、結局、元ネタに当たるか、報道機関と公式発表を信用せにゃならんというションボリした結論になるわけか…。