だから朝日は嫌われる

http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/special/2012070900007.html

朝日新聞の大阪支局の偉い人の話だそうですが…。
読んでいるうちに頭が痛くなってきました。
これを書いている方は、おそらくいい人だと思います。自分たちのやり方には問題があると思っている。それはわかります。わかるんですけど…。

あたりまえだけどヒステリックな書き方だけが「リベラル」朝日新聞の凋落を招いたわけではないのです。

新聞にかかわる人々は、自分たちが決して教養ある知識人ではないことを自覚すべきでしょう。
なぜそんなに啓蒙的でいられるのですか?
なぜ大衆を心からバカにしているのに、それを尊重しているかのような態度を見せびらかそうとするのですか?
なぜ、そんな全能感を保っていられるのですか?

自分たちのやり方は間違っていた、とたびたび指摘していますが、上記の感触はどうしても残ってしまいます。

あなた方は、“社会改良の担い手たる選良”ではありませんよ。学歴的にも教養レベルにおいても、必ずしも抜きんでているわけではないはずです。もちろん、それ自体は別に構わないのです。そんなすごい人はなかなかいません。みんなそこそこいい勝負です。そもそも選良なら社会改良を勝手にやっていいわけでもありません。
しかし、特に見識があるわけでもないのに、安易に識者のコメントをとってくるくせに、インテリ気分で“一般人”を“教育”しようとするその態度は、嫌がられてるんじゃないですか?

あなた方はちょっと調べれば何でも分かると思っている。ちょっと態度を改めればまた社会を都合よく変えられると思っている。適当に権威のありそうな専門家から聞いて来れば十分だと思っている。これまでと同じように。

特定の立場や利害に基づいた発言をするのは構いません。どのような発言でもそれはあります。自らの立場を唯一の正義とすることも、この際構いません。ただ、それを“愚民”に教え諭さねばならない、というような先覚者的な態度は、どうしても納得いかないのです。しかも十全に理解しているわけでもないのに。

 もしヒットラーのような人が首長になり、排他的・暴力的な教育目標を立てたらどうなるのか。戦前の軍国主義教育で多くの若者が一つの思想にそめられ戦争へ駆り出されたことを思えば、条例は朝日新聞が守り育ててきた戦後民主主義に対する正面からの挑戦状である。

 とはいえ、維新の会の主張にももっともなところがあった。教育委員会制度は理念は立派だが、現実は、地元の名士が月1回程度の会議で事務局の報告を受け、ちょこちょこ意見を述べておしまい。政治的中立どころか「放談会」と化しているところがほとんどだった。それを守れと主張するのはいかにも弱い。ここまで形骸化したことを放置してきた自らの怠慢を恥じたがもう遅い。

 ああ、何をどこからどうしたらいいんだ! 勝ち目のない戦いから逃げられなかった硫黄島の将軍の気持ちだよ……なんてぐずぐず言っている暇はない。教育班のメンバーと知恵を出し合った。

「守り育ててきた戦後民主主義」て、どこの“ワシが育てた”ですか。
しかも「守り育ててきた」くせに、その内実も強みも理解せず、“勝ち目のない戦い”などと書けてしまえることにゲンナリしてしまいます。
あなた方はいつまで「リベラル」「インテリ」の牙城気分で、上から民衆を見下すつもりなのですか?それとも、いろいろ分かったつもりの「なんちゃってインテリ」の代表であると実は自覚しているのではないですか?

そんなんだから某市長の人気取りとか、在特会とか、あんなんがうろうろ出てくるんじゃないですか。