天道、是か非か

ニュースを見るたびに、無力感に打ちひしがれます。死ぬのならば役に立たない人が先に死ぬべきです(つまり私)。生きていること、ここに存在することに罪悪感を感じるようになってきました。

かけがえのない人がこの世にいないことなど、よ〜く知っています。
しかし、替わりが容易に見つかる人間が先に死ぬわけではないというのもよく知っています。やはり、「天道」の是非を問うのは無駄なのです。「天」の意思を推測する人間はやはり弱いと思います。いかなる心情であれ、運命や「天」の意思を見出す、そしてそれに自分の行いとの関連を見出そうとする思考に強く反対します。

ニュースのインタビューで、「自分の行いが悪いから、津波が起こった」と泣いているおばあさんがいました。絶対に違います。別に誰も悪くないのです。少なくとも、あなたが(あえて“あんたなんかが”というべきかもしれません)どうこうできるものではなかったのです。同じことは石原のバカにも言いたいところです。“てめえなんか”になにがわかるのか。

死んだ人には死んだ理由なんてありません。
今回の行方不明者は、行方不明であることが申請された方の人数です。それ以外にも亡くなった方がたくさんいます。彼らは必要がなかった人々なのでしょうか?