読書:宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』

読みました。もちろん2006年の紙版です。絶版やとリンク張れないのかな?

かつて存在した満洲帝国の領域の歴史が描かれます。もしも、満洲国が現存し、いろいろあって本当に独立していたら、こういう教科書があったかもしれません。いや、台湾だって、「台湾共和国」というタームが出てくるわけですから、「満州民主共和国」が存在したかもしれない、というのは全くありえない歴史ではないのかな、というのは思わなくもありません。(冷戦どうなるとかいろいろあるんですが)
漢人が満人と呼ばれる国で、マンジュはどのような位置づけになるのか、とか、ものすごい妄想をかき立てますな。(台湾のアイデンティティだって突き詰めるといろいろビミョーなわけですし)

もちろん、本書の中に、実証的な著者の創見というのはありません。そりゃそうだ、ジュンガルの専門家ですからね。(今回、ああ、杉山正明先生は西から見てて、宮脇先生は東から見てるんだ、というのがやっとわかりました)

ただ、枠組みとして、「満洲」を固定して、ずーっと歴史を追うっていうのは結構面白い試みですよね。べつに「満洲」の地域的一体性を主張するわけでもないわけで、その点、割と余計なことを書かないようにしているのも、むしろ「あの地域」の北東アジアにおける位置づけが浮かび上がってきて、いい感じのように思いました。これは、おもしろかったなあ。

これが、近現代の話だけになってたら、何も意味ないわけです。近現代の話だけだと、そんなん常識やろ、『キメラ』読んどけって話になるわけですが、それが粛慎(満人の名前じゃないです)とかから連綿と続いてくると位置づけが違って言えてくるわけですよ。2000年前からの話をずーっとたどってくると、〆の一言が秀逸、上手くオチが来たな、と嘆息するわけです。もちろん、それが正確かはともかくとして。


ちょっとだけ気になったのが以下の4点です。

16ページ:ジェシェン=女直というので議論が進むんですが、金(完顔氏)と後金・清(愛新覚羅氏)の女直って、同じ「民族」でいいんですかね?同じ地域に板に多様な生活習慣を持ってる人達ではありますが、簡単に結びつけたらアカンみたいな話、聞いたきがするんですよね・・・。

118ページ:「国民国家」は、アメリカ独立戦争フランス革命あたりから出現した概念という指摘があります。まあ、そんなもんかな、とも思いますが、Nationという語の、ある国家に所属する人々を指すという用法は、17世紀からあるはずです(OEDオンライン化されてないんかな…)。「国民国家」が想像/創造された論は、それはそれで市民権を得たんですが、インドネシアみたいのは極端なのはレアケースで、軸になる「国民」はいたんですよね。割食ったのは、周縁に位置付けられたひとだけで。

127ページ:「香港返還」は英字新聞ではhandoverとかTransferと読んでいたことが印象的と、軽く清朝と人民共和国の連続性を前提にする観点にチクリとしています。まあこれウィキペディアにも載ってるネタなんですが、そんなに深い意味あるんですかねえ…。漢語では「回帰」ありきなので、まあどうしようもないというか。むしろ、日本や香港で、「回帰」を避けるとはっきりと政治性が出てきますが、英語だとそこまでではないように思いました。
つか広東語版のWIKI、この件しか書いてないじゃねえか。あからさますぎる。

166ページ:五四運動が、21ヶ条要求から4年後に起きたのはコミンテルンの指導があったからだ、という指摘がなされてますが、これ、たんにパリ講和会議での山東問題に関する議論が不調に終わったからですよね。

中国近代外交の形成

中国近代外交の形成


キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)

キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)