鬼の首とったどー

最近話題の某リブレット人のドラゴンレディですが(検索で引っかからないようにしています)
なんだか、まとめ観てから2chに書き込むという変な状況が出てきてるようで。世の中変わりましたねえ。
しかし、みんな喜んで叩いてますが、それはそれでどうなの、という気がいたします。“やっちまったなー”(クールポコ的に)(古い)(大好きなのでまたブレイクしないかな)と思いつつもそっと閉じればいいじゃないですか。
最初に一連のツイートした方には、讃!なんですが、その後にいろいろ言ってるやからには困ったな、と。

でもでも、わたしも“ダウト―♪”と鬼のクビ取りたいのでひとつだけご紹介。

p.1,12,44 “1861年(祺祥元年)”
年号は年が明けてから、新しく元年が始まるのが、明清両朝ではなかったですか。だから幻の年号ではないのですか。だから祺祥通宝チョー貴重なんではないですか。昭和元年とは違うんじゃー!じゃあ、洪武から全部足掛けに調整しろ!

(追記:完全に泰昌の存在を忘れ去っておりました。謹んで“天命から全部足掛けに調整しろ!”に訂正させていただきたく存じます)

いやあ、1ページから来たよ。開くなりですよ。開いて読み始める前に飛び込んできた“祺祥元”。ツチノコを見た思いです。それともなんですか、“敵前逃亡した咸豊帝は帝として認めんぞ、咸豊は10年までじゃ!”とかですか。それならわかる(´-`).oO(p.11に咸豊十一年って書いてありますけどね…)

なんだか、注とかカッコは著者がつけてないんじゃないか疑惑が頭をもたげています。学生時代に近代中国史の小説好きでした、みたいな感じがするのよねえ…。おしいなー、努力は買うがー、なんかちがうぞー、みたいな。ネットでよく見る辮髪LOVE的な(ひとのこといえませんが)。

あとp.15に“一八一三(嘉慶二)年”ってあって、次のページには一八一一(嘉慶十六)年とあるので、編集さん大丈夫?としか。急いでたのかなあ…。著者校正はいってないんじゃないか。いや、殷鑑遠からず、やね。(こうやって想像上の編集さんに責任をひっかぶっていただこうということなのです)


あと、読みながら気づいたのですが、人物伝は年譜のダイジェストっすね。
“頑固派官僚”も中国の一昔前の専門用語ではなかったですか。著者の造語じゃなかったですよ。

つーわけで、今回の件は、むしろ現代日本のシノロジーの断絶を見る思いですなー。8割いい意味、2割悪い意味で。