わからないのはバカだから
キャッチーだが不正確な言説で持て囃される「学者」が現れ、他の学者から批判が起きると、「普通の学者の話が解り難いのがいけないのだ」と擁護する者が必ずある。しかし嘘を付かない様に気をつけながら話す人と、キャッチーであればどんな単純化も捏造も厭わない人とではあまりのハンデ戦である。
— Ken Sendaさん (@KenSenda) 12月 18, 2011
イグザクトモン!
「学者」の専門的な話の結論なんて、だいたい細かい話にならざるを得んわけで(それが研究ってもんだし)、一般的なメディアで持て囃されるわかりやすい話とは、そもそもニーズが違うというか、どうせ素人には専門家の話なんてわからんし、わかったところでほとんどの場合、なにも役に立たんのではありますまいか。
とりあえず「最新の学説」を「わかりやすく説明」とか言ってる場合は怪しいですよね。というか、門外漢でもわかるような説明はそれ自体が怪しい。ほかの本を読むというところまではいかないにしても、結構頑張って考えないとわからん、くらいじゃないと信用できんということでしょうか。世の中、そんな簡単なら苦労せんがな。
とりあえず、「自分にはわからん!ちゃんと説明しろ!」っていうのはダメな人ということでいいでしょうか。あきらめろ、と。
まあ、世の中には、一回読んで分からんかったら「自分が悪い」、二回読んでわからんかったら「書き方が悪い」、三回読んでわからんかったら「内容が悪い」と豪語して、それがその通りの天才ってのもいるにたまーにいるんですけどねえ。たまーにですけど。いまだサンプルふたつ。