ばか

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120403-OYT1T00371.htm

こんな記事がOKの出る読売新聞社ってのは、上司が制度設計とかしなくていいんでしょうな。朝来て、怒鳴り散らして帰る、と。それでうまくいくと。
だって、子分どもがやる気に満ちてて自分から仕事をするんで、上司は何にもしなくてもいいんでしょ?

失敗してるのはたるんでるからだ、と。
いやあ、天国みたいな会社だこと。

読売新聞の中の人ってバカだろ?
やる気がないからミスをするって、知恵のついた小学生か。
ブンヤの風上にも置けねえな。こんな記事書いて金貰うの?


4月4日:殴り書きはよくないですね…、補足。
まずは報告書本体↓
http://www.dnc.ac.jp/modules/news/content0489.html

当該記事見て、頭悪いと感じるのは、この50枚の報告書のうち、教員の「熱心さ」という、あいまいな(しかも小さい…p.12)部分だけを取り上げていること。
この試験管個人の感情をクローズアップして、そこに問題の根源を見出すような書き方は、構造的な問題を覆い隠すことになる。
そもそも今回の配布・試験時間通達・機器配布に関するミスの原因は、この報告書が指摘するように、配布方法の変化や、震災による例年との違いなど、短期的・長期的、あるいは構造的・一回性的なさまざまな原因によるもので、教員とか大学の「熱心さ」(そもそもそんなもんに期待するな)のみに起因するかのような見出しと記事(「も」があればいいってもんじゃないよ)を出すことに腹が立ったわけで。
あるミスを特定の個人・機関の「やる気」とか「熱心さ」とかに求めるのは単なる怠惰なわけで、そういうのを織り込み済みでいろいろやるのが大人のマネジメントでしょ。

つか、教員と大学がセンター試験なんて“罰ゲーム”に「熱心に」参加するわけないじゃない。教授先生だって人間なんだから、あんなめんどくさそうな仕事にまじめに取り組むとは思えん。というか、そんなん今年だけの問題じゃないでしょ。今年だけやる気がない、とでも?
「熱心さ」に欠けるとか騒いでも、オッサンの気休めにしかならないわけで、受験生のための公正さの確保にはなんも役に立たない。後で担当者をたたいて、よしんば「処刑」したって、その時不利益を被った受験生の救済にはならないわけでしょ。
なんか悪いことがあると、個人とか特定の社会層とか集団とか特定の立場の人を叩いてよし(快とする、だな)とする態度がホント、気に入らないわけです。

もし、大学教員に対して悪意があって、今回の記事を書いてるなら、まあ、「性格悪いなー」で終るんですが、たぶんそうじゃなくて、本当に「熱心さ」に欠けるって怒ってる気がするんですよね…。まあ、書いた記者だっていいとこの大学出てるわけだし、主筆だって新聞研究所の人でしょ。あれだな、彼らにちゃんと社会問題記述に関する根本的な考えかたを教えてあげられなかった大学の先生方は猛省すべきですなあ。

そういうわけで、読売新聞の今回の記事の書き方のバカさに頭が来たわけです。別に読売だからdisるわけではないですよ。朝日とか毎日とか(産経はキャラがしっかりしてるのであんまり怒らない)も結構アホ記事が出て頭に来るんだけど。
真実を追求する公正な報道」なんて言っててこんなんでいいのかよ、と。

ところで、さっきYOMIURI ONLINEで「センター試験」で検索したんだけど、当該記事が出てきませんでした。何日かしないと検索に引っかからないのかなあ。

さらに補足
この記事、見出しは「大学・教員」になってて、やる気がないのは、「大学と教員」だってことになってるけど、記事の中身は「大学教員」の「やる気」が〜ってことになってますなあ。まあ、大学にだってやる気があるわけないけど…。
報告書の該当部分(p.12)の書き方はあいまいだけど、教員は「監督者説明会」に対して「熱心さ」に欠けると指摘していて、さらに大学側の欠席者に対するフォローもいまいちなところで、ミスが起きやすい傾向があると指摘してるんですねぇ。
さて、当該記事は報告書をうまく読み込んでいなくて、記事だけ読んだ読者(私を含む)の方は「個人のせいとか、小学生か」と(検証委とか読売とかに)怒るという図式になっているようです。うん、あれだ、インターネッツって生産的じゃねえなww。