読書:渡辺浩『近世日本社会と宋学(増補新装版)』

渡辺浩先生の名著『近世日本社会と宋学』の増補版を読みました。昔は正直よくわからなかったけど、今読むといろいろと学ぶところがたくさんあります。元和偃武から国学までの思想史的変動が鮮やかに描かれています。

近世日本社会と宋学

近世日本社会と宋学

読み進めていくうちに、儒学者が見た江戸中期の世界が目の前に広がるかのようでした。彼らの目の前の“乱れた”“野蛮な”状況への歯噛みや、理想としての中国への憧れが、次々に現れてきます。
補論2では、「日本型華夷秩序」(本書でははっきりと言及されているわけではありません)のあいまいさや理論の欠如が指摘されています。そこに新井白石の珍妙な“正しさ”が現れることで、何とも不思議な思想空間が存在したことがよくわかりました。ここでの“不思議”というのは、当時の一般的な感覚からも、中国の現実あるいは理念からさえも乖離していたという意味です。そりゃ、受け入れられないよね。

受け入れられないといえば、道学先生です。佐藤直方の以下の言が引用されています(239ページ)
士農工商ともに、年の暮には、一夜明けたらば、どこもかもよからうよからうと思ふて、行水して身の垢を落とすように思もの也。さる故に元日からむせうに目出度目出度春じゃ春じゃと云。をかしきこと也。何が目出度やら、愚と云べし。学者は心得あるべきこと也。今年も去年の様に暮らすであらふかと恐れ謹む筈也。
嫌われますよ(言いたくなる気分はわかるけど)。どんなに“正しく”てもね。しかも、その“正しさ”はだれにも共有されていないんだもの。

共有されていないというので、思い出しましたが、かれら儒学者は、“愚かな民”をどういう風に見ていたんでしょうかね。結局、“世間の俗”の正しさを受け入れてしまうのならば、その“愚かさ”はどういう風に処理したのでしょうか?人間扱いしてないのかな?仁斎の“俗”は、やはり彼のコミュニティー内部で完結するものだったのでしょうか。それにしても、こういう思想変遷を見てると陽明学が流行った理由がよくわかります。

あと、読んでいると、イデアとしての中国への憧憬が、近世の儒学者たちに共有されていることはわかりました。それが、読み進めるうちに、なんだか渡辺先生もその憧憬を共有しているような気がしてきました。これが、『東アジアの王権と思想』を読んだ時の違和感だったのかなあ。まあ、中国側の実相(いわゆる支那通的なモノではなくてね)を提示してゆく中国史側のレスポンスが必要ですな。

レスポンスとは違いますが、考証という次元ではなくて、政治思想として日本近世の書籍を当時の清朝の官僚がこれを読んだならどんな感想を持ったでしょうか。個人的には“なんか騙されてんじゃねえか、こいつら”という感想を抱きそうな気がします。これは、海外(朝鮮除く)における儒教受容を中国の知識人がどう見るか、という問題ですが。だって日本の儒学は、どう見たって儒教じゃないからね。珍妙ですよ。どう思うんだろうな。気になる気になる。黄遵憲とかなんか書いてるかしら。

もう一つ、中国との比較でいえば、同時代(少しあとか)の乾隆年間の言論弾圧とそれに続くお寒い状況とのコントラストがはっきりします。床屋政談のレベルですら政治に言及できない乾隆年間の中国と、バリバリ幕政批判すらする近世日本…。なんでしょうね、やっぱり思想のパワーが違うのかな(日本のほうが思想の重要性が圧倒的に弱いという意味です、念のため)。本書221ページが引用する下記の部分を想起します。「此理欲之辨適成忍而残殺之具。」(戴震『孟子字義疏証』)あるいは、魯迅狂人日記』でしょうか。日本近世はよくも悪くも適当というかあいまいだったのでしょうね。なんでだ?利害衝突が明確な形でおこらないのか?とまれそういうなかで、“覚醒”していた儒学者ってのは、本人もやりづらいし、周りも扱いに困っただろうなあ…。

東アジアの王権と思想

東アジアの王権と思想